第478話 孤独の岸辺(上)④

 そう言うと私を小部屋から引き出した。

 灯りのついた扉の外は、寝室の倍以上はあった。

 部屋の暖炉の火は消えている。

 だが、こちらの部屋は冷え切っていない。

 私を長椅子に座らせると、カーンは机に寄りかかった。


「お前を抱えて攫う理由がわかるか?

 お前を怖がって、抱えて逃げる?

 誰が見たって違うだろう。」


「逃げる?」


 寄りかかったまま、長い脚を組むと男は笑った。


「まぁ格好悪い話だし、本音って奴は大人になると言葉にできないもんだ。

 言い訳ってのも無様だしな、でもまぁ」


 意味を測りかねていると、カーンは足を戻し暖炉に近づいた。

 そしてしゃがみ込むと火をおこす。

 火種が燃え上がるまで、灰をかき混ぜた。


「捨てて忘れていた。

 誰かの中に存在する自分。

 お前が見ている俺だな」


 説明が面倒だなぁ。

 と、言いながら彼は続けた。


 「他者からの評価を追っても馬鹿を見る。

 俺の場合、身内の評価も切っていた。

 つまり誰に何を思われても、そこで俺が変わる事は無い。

 他人の目、親兄弟の目、友人や仲間内の目にどう映ろうと、俺は俺だって訳だ。

 それでも子供の頃は、誰にどう思われるか気になっていた。

 まぁそれでも普通のガキより、図々しくて擦れていたがな。

 でも、それはあたり前の感情だ。

 お前だって親しい人間にどう思われているか無関心じゃぁいられない。だろ?」


「はい」


「お前は自分が人とは違うと言うが、それを言うなら、俺は異常者だ。

 世間で言う異常な部類とされているし、その自覚もある。

 だが、大人になった俺は、自覚はあれど何も感じない。

 誰がどう考えようと、俺がどう生きるかって話だ。

 悪評であろうと、それは俺が選んだ事だからな。

 人でなし、人殺し、お前は人間じゃない。

 何を言われても、俺には響かない。」


 しゃがみ、揺れる炎を見る横顔は、何かを思い出しているように見えた。


「けれど、それは成長した結果じゃなかった。

 取りこぼして無くなっちまったから、感じないだけだ。

 何にも無いから、感じなかった。

 必死に生きていた子供の頃の方が、頭を使っていたかもなぁ。

 で、天罰だ。」


「天罰?」


「何にも感じないはずが、頭の中が急に冴えるみたいな感じだった。

 お前と見た世界。

 頭の中が急に鮮明になった。

 賢くなったような感じだな。

 それと一緒に、自覚した。

 お前に恐れられると、俺の心は痛いって自覚だ。」


 振り返り、私を見ると笑う。

 信じられないだろうと。


「ドカンと一発食らうように、色んな感覚が戻った。

 感覚、感情、感傷?

 わからんが、ともかく俺はビビッた訳だ。

 情けねぇ話で、俺はお前を抱えて逃げるしかなかった。」


「置いていけば」


「お前の口から、俺が怖いと聞きたくない、絶対にだ。

 そう思った相手の手を離すのは、愚かだ。

 そこは子供じゃないからな、問題を放置して良いことは一つもないと知っている。

 それに人はあっけなく死ぬし、意図せぬ別れはいつでも起こる。 

 わかるか?」


 わからない。とは答えられない。


「逃げる理由?

 俺の中に生き残っていた子供の頃の自分が、そうさせたんだろう」

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