第103話 幕間 忘却の荊 ②
「私は貴様のような奴が一番嫌いだ。
卑怯で傲慢。
与えられる心を当たり前だとする卑しさ。
運にばかり恵まれる。
私が知っている男にそっくりだ」
カーンは、膨れ上がる厭な感覚に息を詰まらせた。
「今も理解していないだろう。
貴様が卑しい獣だからだ。
何、お前の種族の事を言っているのではない。
お前が人という獣だといっているのだ。
だからこそ、貴様は試されるのだ。
忘れてなお選ぶ事々で、人が救われるべきか否かを。
無駄であるのに。」
不愉快そうに言葉を結ぶ。
ナリスとおぼしき男は、そうしてゆっくりとこちらに歩み寄った。
殺気は無い。
だが、ゆっくりとした歩みは、どこか変だった。
歩いているように見えるが、浮いていた。
息苦しさに喘ぎながら、カーンは目を凝らし武器に手を置く。
幻影だ。
厚みのない絵が動いていた。
「近寄るな」
斬る、事ができるか?
「不安か獣よ。
この世には、貴様の剣で斬れないものなど、数多あるぞ。
幻を斬り、娘の幻影を斬りつけてなお、学ばぬとはな。
やはり、貴様は無様な奴よ」
男の姿は滲み、靄のように漂う。
乾いた小枝を折るような音が鳴る。
パキパキとカーンの懐から、その音は響く。
音と霞が消えてから暫く、カーンは武器から手を退いた。
それから己の懐へと手を入れる。
砕けたはずの智者の鏡が元に戻っていた。
手にとりよくよく見てみれば、その鏡の裏模様が変化している。
蔓薔薇だ。
娘に刻まれた模様と同じだ。
さようなら
消えゆくような声が聞こえる。
カーンは、娘の別れの言葉を再び聞いた。
背負う娘は眠っているというのに。
だが、確実に何かが失われていくのを彼は感じた。
「やめろ」
チリン
(もうこの鈴もいらぬだろう)
冷たい風が、カーンを通り過ぎる。
(いつもの貴様に戻るだけ)
抗う間もなく、ごっそりと記憶が削られる。
チリン
(下劣な輩にお似合いの)
チリン
(無様な姿を晒すがいい)
そうして智者の鏡を持ったまま、男は立ち尽くした。
風が吹きつけ吹き抜ける。
冷たい北の風だ。
男はゆっくりと智者の鏡を懐に戻した。
「こっちか」
吹き付ける風に、カーンは頭がはっきりとした。
出口は智者の鏡が告げるように、冷気をまとった風の先だ。
足早に歩き出しながら、彼は頭の中を整理するように辿った。
まるで自分の持ち物の配置が変わったかのような違和感があるのだ。
自分の目的やこれからの事。
口には出さなかったが、確かめるように考え続ける。
出口は風の吹き付ける方向にあるはずだ。
主犯の遺体は確認できなかった。
遺跡が崩落するとは予想外の結果だ。
あの狂人の死に様としては呆気ないものだった。
五番目の首は処理済み、防腐もしてある。
彼らの仲間も崩落で死んだ。
確認は、冬越の後来年か?
面倒な報告になる。
背中の娘を背負い直し、帰さなければなと思う。
彼はオリヴィアを無事に帰さなければならない。
オリヴィア?
誰だ?
娘?
娘など知らない。
(村の子を帰すのだ)
「この道案内の者だな、あぁそうだった」
一緒に崩落に巻き込まれた村の者だ。
誰だか知らぬが、迷惑をかけた。
そうして歩きながら、カーンは急に奥歯を噛んだ。
何故か自分を殺したくなったからだ。
彼は急に、すべてが嫌になった。
理由はわからない。
だから、急いだ。
急いで外に向かった。
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