第104話 幕間 風が吹くだけ

 風が吹く。

 冷たい北の風だ。

 今まで静か過ぎたので、そよそよと微かに揺れるとすぐにわかる。

 風上に向かい歩くと、大気に湿り気を感じた。

 外の気配に、いつの間にか俯いていた顔をあげる。

 すると墓標のような街の中央に、石の門が見えた。

 石積みの柱は、上で半円を描く。

 扉の無い門だ。

 それは街中にあり、突然、目前に聳えていた。

 忽然と現れた門に、カーンは立ち止まる。

 二つの門柱の間、抜けた先も変わらず同じ街並みである。

 ここが街の中心というわけでもない。

 それとも石の枠組みは、何かの印なのだろうか。

 風は、その門から先より吹き付けている。

 迂回すべきだろうか?


(門より進め)


 明快だとする男の、思考でそのまま進む。

 背中の者を背負い直すと、彼は気配を探りながら門を潜った。

 特に何も起きない。

 気を抜かずに、そっと振り返る。

 すると背後の景色が消えていた。

 慌てて顔を戻すと、そこは薄暗い石の洞穴であった。

 カーンの視力ならば問題なく見通せる。

 闇に強い獣人の目で見れば、通路は徐々に上り坂になっていた。

 だが、この不思議な現状よりも、更に気になる事があった。

 通路の先から、嗅ぎ慣れた匂いがしたからだ。

 湿り気を帯びた通路は、石の街よりずっと寒い。

 そしてその冷たさに、不愉快な匂いが混じっている。

 それほど時間はたっていない。と、カーンは思った。

 上り坂は緩やかに右に曲がっている。

 前に進むと程なく見えた。

 死体だ。

 自刃じじんした男がぬかづいている。

 喉、腹、手首、傷は複数。

 手首を切って血をまき、そのあと胸や腹を突いたが死にきれず、喉を掻き切ったのか。

 苦しみもがきながらも、相当の覚悟だ。

 膝をつき、謝罪するように力尽きている。

 これも仲間と合流したら、この男の身元を確認しなくてはとカーンは思う。

 思いながら、その血の輪を跨ぎ潜る。

 フッとまたも、カーンの中身がこそげ落とされた。


「消えるな、やめてくれ」


 漏れた呟きに、カーン自身が首を傾げた。

 通路を振り返る。

 洞穴だ。

 罪人を追い入り込んだ穴だ。


 頭の隅が煩く感じたが、それも先に進もうと歩を踏み出すと忘れた。


 何もない。

 死人は用無しだ。

 皆、のだから。

 国賊が逃げ込んだ洞穴は崩れた。

 案内の領主も死んだ。

 一人、狩る事ができたが、他は崩落で生き埋めだ。


 そして自分は帰ってきた。

 この不快感は、任務を完遂できなかった所為だ。

 と、カーンは思った。

 そろそろ外に出られるはずだ。

 冷たい冬の風を感じる。

 雪と湿った清潔な空気。

 濁りも血の匂いもしない。

 凍えるような風が吹く。

 通路の先がうっすらと明るい。

 風が吹く。

 寂しい冬の風が吹く。

 帰って新しい場所に向かおうと彼は思った。

 今度は暖かい場所がいいと。

 洞穴の先に白い光が見えた。

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