第827話 挿話 陽がのぼるまで(下)⑨

 巫女様は、ぽいっと木切れを釜の一つに放り火加減を調節した。

 それからフムと頷き、私に言う。


「そして当時の公王家が必要とした、大義を裏付ける考え方を神聖教が打ち出した事が国教となる大きな要因でした。

 つまり考え方ですね。

 ここまで話して不思議に思う事がなかったかしら?」

「不思議、ですか。えっと、神聖教は寛容だから、多くの宗教のまとめるのに便利だったってお話ですよね」

「そうね、よく聞いていましたね。

 ですが、もともとあった一番大きな拝火の信仰を国教にしたほうが、楽だったと思わない?」

「そう、ですね。そうか」

「拝火、一番大きな土着宗教集団は火焔教と言いました。

 この宗教は善悪を中心に据えた教義、つまり人間は善であると説いていました。」


「善ですか」


「人は善きものである。

 善とは普遍、命を照らす光である。

 だから、陽光を尊び、調和を祈る神聖教への改宗の抵抗は抑えられた。

 でもそれならば、火焔教にて他の拝火の信仰をまとめても良いのではないか?となるでしょう。

 ですが、この改宗も為政者が望む建国、社会構造の改変の為の物だった。

 つまり統合王国にする為に、どうしても一つにして結束を深めたかった。

 じゃぁ何が神聖教にする決め手だったのか?

 もちろん、神が天啓を与えた訳でも、光りが開祖に降り注いだわけでもない。

 と、私が言うのはちょっと問題かしらね、ほほほ」


 何と答えて良いのか。

 この話が何処に流れ着くのかわからずに、布巾のかかる練った小麦粉を眺めた。


「私が考えるに、似ているから選んだ訳ではなく、違うからこそ選ばれたと思うのよ。」


「違う」


「そう。

 人は悪であり、秩序と繁栄を守るには光り、理性と優れた知性が必要である。

 そして善とは戦わずして得られる物ではなく、戦わぬ者は悪である。

 信者の方々にお伝えしている説教は、こんな具合かしらね。


 常に学ぶことが人をより善くする行いである。

 光りとは知恵であり、己を顧みる為の指針である。

 常に備え光りに祈りましょう。

 かしらねぇ、大凡がこんな説教になっていると思うわ。


 光りを求め戦うべし、という掛け声をする方もいるでしょう。

 これが中央統合王国の国教になった理由という訳。

 権利を守る為に、皆で手を携えて戦うべし。


 光りは神を指す言葉ではないの。

 光りとはより善き人になる指針、知恵であり、もっとわかりやすく言えば繁栄を望む希望の事なのよ。


 ビミン。


 長いお説教につきあってくれてありがとう。

 孝行な娘、勤勉な娘、立派な心根の娘。

 貴女に光りが降り注ぎますように。


 そして私、神聖教の巫女である私は、貴女に光りを与えたいのです。

 貴女が光りを見つけられるように、したいのです。

 お節介に感じようとも、この申し出はいつでも貴女にむけて開かれていますよ。

 今すぐの返答は必要はありませんよ。

 何事もよく考える事。

 人は学び考える事もつとめですからね」


 私は台所の床に視線を落とした。


 巫女様は私の肩にそっと触れると料理に戻った。


 ありがたい申し出だ。

 ありがたいのだ。

 だけど。


 何も言えない私を他所に、巫女様は次の料理にとりかかった。

 光りを得ているとは、こういう事だ。と、その背が示していた。

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