第545話 分水嶺 ③

 簡易な天幕がたち、炉が組まれる。

 淡々と準備がなされ、煮炊きの準備が始まった。

 手伝いを申し出たが、やんわりと断られる。

 これも訓練だそうだ。

 ザムの隣に据えられる私。

 せめても邪魔にならぬようにと、燃料用の枯れ枝の上に座る。

 その枝の山も痛くないようにと乾いた布が敷かれていた。

 置物らしく観念して、暫し考えを整理する事にした。

 熱をもったように、思考がばらけている自覚はある。

 伝わる些細な事柄に、何か重大な見落としがありそうで不安だった。

 山猫に始まり鏡面の男と遭遇した。

 が、結局は何ら成果はない。

 すべては、もやりとした影ばかりだ。


「今一度、墓を見に行ってもいいでしょうか?」

「お連れする事は可能ですが、団長が戻るまではお待ち下さい」


 確かに、入り込んで消えてしまったら、彼らの責任になるだろう。


 消える?


 はっとした。

 あの宮居のような墓に、私だけなら出入りできる。

 何も回りくどくコルテスの者に聞く必要はない。


 答えだけを求めるだけなら、簡単なのだ。


 グリモアの手を借りて出入りし、答えをもぎ取る。

 実に魅力的な考えだ。

 だが、それは愚策である。

 すでに墓所は、生死の境が薄れていた。

 それはことわりの喪失を意味している。

 理とは世界そのものであり、喪失とは終わり世界の終焉だ。

 死者の手をとるとは、その終わりを迎え入れるという事だ。

 私は、人間だ。

 まだ、人間でいたい宮の魔になりたくない


 その人でありたいなら、思考を続けろ、だ。


 あの墓は境界である。

 そこに意味があるのだろうか。

 姫の墓。


 王家の姫が置かれる。

 コルテスの領地境。

 宮居のような建物。

 境界の上。

 土手の呪い。

 鏡の男。

 ニコル・コルテス。

 コルテスのニコル姫。


 墓に女。

 境界に墓。


 見たままを考えれば、知識グリモアが示す。


 凶事を、死者で封印しているのだ。

 悪い事が広がらぬように。

 この東の土地から、悪い事が広がらぬように。

 人柱だ。


 尤もらしい答えにヒヤリとする。

 公主を人柱にするとは、恐ろしいことだ。

 もちろん、どんな身分の者であれ、恐ろしいことだ。

 だが、公王の妹だ。

 想像するまでもない。

 船員達が訴えているのは、警告だ。

 つまり、人柱にて封じていた凶事が崩れ始めている?

 まさか。

 こんな想像は、突飛すぎる。


 姫は病死、の筈だ。

 と、欠片も信じられない事実よりも、突飛な考えを追う。


 姫の死因や何かは別として、封印の為の墓が作られた。

 姫を封じているのかと最初は思ったが、あのように境界の薄い場所では意味がない。

 呪術陣を指輪とするならば、墓は宝石部分だ。

 指輪の石としては動かせないが、中身の死者ならば、自由に出入りできる場所になる。

 そう、墓に戸口が無いのは、生きた人間が出入りするのを防ぐためであって、死者にはあれほど開け放たれた場所は他にない。

 だからこそ、あれが封印の役割を果たすのは、その人柱が望み留まり、水の流れにのせて大きく奔らせているはずなのだ。

 呪術ならば、それは巨大でそうとうな大術式だろう。

 だが、それに不具合が生じている。


 まぁこれは船員や、姫の立場が善き者としての話だ。

 その前提で考えると、あの鏡面の男も、警告の為かもしれない。

 何かまずい事が起きている、と。

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