第546話 霧の中

 考え込んでいた私に、兵士の一人が茶を入れて手渡してくれる。

 大きくて髭が立派な人だ。

 礼を言うとニカッと笑う。

 前歯が一本欠けていて、何だかとっても親しみやすい。

 年かさで筋肉隆々とした人だが、煮炊きは彼がするそうだ。

 妙な緊張感が消える。

 生きている人の中にいる事、考えすぎない事。

 お茶を飲む。

 温かい。

 それから葦の向こう、揺れる湖面と突き出た柱を眺めて思う。


 とても美しいけれど。

 なんて、寂しい場所だろう。


 訪れるのは、自然の生き物だけ。

 見えるは、木々と遠い山々、うつす水面も凍えるようだ。

 故郷は遠く、親しき人も遠く。

 水音と薄い陽の光りに、靄が漂い流れていく。


 なんて、寂しい場所だろう。


 姫は一人で、この場所に眠っているのか。

 それとも、人ならざる者どもと語り合っているのだろうか?



 私達は岸辺にて歩をとめた。

 カーンは何を思ったろうか。

 答えの出ない事ばかり、彼には不思議が似合わない。

 それがこうして朧な足場にとつきあわされる。

 等と、気分を下げて帰りを待つ。

 そうして中々戻ってこないと思っていたが、湖の対岸、荒野側にカーンたちは向かったそうだ。

 ぐるりと見て回り、それから戻ってくるとの事。

 私は皆と留まり、体を休める。

 そうして陽が暮れる頃、森へと続く道の遠く。

 何も起こらず夜を迎えるかに思えた。

 だが、これも記章の導きか、暗い小道の先に仄かな灯り。

 コルテス内地へと続く道。 

 その闇に仄かに揺らめく、小さな灯りが見えた。



 ***



 カーンは未だ戻らず、私は歩く練習をしていた。

 ザムは食事に入っていて、私の傍らにはモルドビアンという名の兵士がいる。

 ザムと同じく獣狩に秀でていて、ミアのお勧めの兵士だ。

 食事中のザムはと言えば、仕留めるのは自分だと、急いで食事をかき込んでいる。


「何で、私が餌になると思うのでしょうか」


 私も狩人だ。

 一番弱そうな群れの個体狙うのはわかる。

 けれど、決めつけられるのは、ちょっと不本意だ。


「動物全般、野生の生き物の多くは、我々獣人の男が嫌いなんですよ。

 だから、普通は狙ってこないんです」


 モルドビアンの説明に、うんざりとする。

 ザムの確信にも根拠があるわけだ。

 そんな私の様子に、おっとりとした雰囲気の男は、小さく笑うと続けた。


「まだ幼体のようですし、はぐれた個体なのかも知れません。狩りを教える親がいれば、人間の中でも獣人の男は危険であると理解させるでしょうしね」


 モルドビアンも、故郷では狩人だったそうだ。

 主に、群れで移動するココンという鹿に似た草食獣を狩っていた。

 肉が美味で、皮は加工品になるらしい。

 大型の弓を使うそうで、実家には、様々な大弓を揃えている。

 私と同じく弓を作る事もあり、北と南では素材も違うらしい。


「湿気が多いので、歪まぬように作るのが大変なんですよ」


 大弓は作った事が無い。

 普段は誰にも語る事のない素材について、色々と二人で話しあう。

 やはり地域や目的によっての違いを知るのは面白い。

 例えば、弓用の手袋は、私の場合全ての指を覆っている。

 本来は、三本、取り回しのじゃまにならないように作る。

 でも私の場合、力が弱いので、どうしても弓を引くには本数を増やすしか無い。

 小さな弓でそれである。

 つまりモルドビアンのように膂力のある獣人は、指の保護を気にする必要がないという事だ。

 それでもココンの皮手袋を作る。

 良い皮は見栄えも良いし、腕が良い証拠だ。

 ココンの皮も上質らしく、南以外でも取引がされるらしい。

 ぜひ、手に入れたいと思う。

 また矢羽は、私の場合水鳥を使っているが、モルドビアンの故郷では、猛禽の羽が手に入りやすいので、猛禽の物が主流である。

 安価な竹矢も使用するが、やはり金属矢が主流だとか。

 私の場合は、結局、総重量を気にしないといけないので、すべて木製である。

 張り合わせる時はどうしているとか、乾燥させる手順など、話し出すととまらない。

 大弓を使うが、鳥狩りには取り回しの良い大きさの弓も使う。

 と、言う話をモルドビアンから聞いていると、ザムが戻ってきた。

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