第645話 挿話 兵(つわもの)よ、剣を掲げよ盾を押せ 上

 イグナシオの人生は、既に救われている。


 誰に何を言われようとも、彼の世界は既に調和を得ている。

 故に、死は恐れるもの憎むべきものではない。

 唯一、恐れるべきもの唾棄すべきは、救いの道を阻むモノ。

 穢らわしきモノ。

 死の安らぎを否定するモノ。


 つまり、今、目の前に広がる光景全てだ。


 ***


 王都から命令が下り、城塞を起点とした東領境の封鎖作業が組まれた頃。

 イグナシオは、サーレルからの連絡を受け、遠征の準備を進めていた。

 東三公のひとつ、ボフダン公爵の領地へと向かう為だ。


 東三公とは、マレイラの支配を分ける公爵の事だ。

 コルテス、ボフダン、シェルバンを指す。

 兵隊の即時放出可能な人員の大きさから並べても同じ順になる。

 コルテスが四万、ボフダンが一万二千、シェルバンが一万を切る。

 軍事力の差とは、経済や領内の構造に比例する。

 しかし、ここで注意すべきは小領地のシェルバンである。

 シェルバンが強固な純人族主義の地域、獣人を敵視した非常に閉鎖的な土地であるからだ。

 小領地程度が、過激な思想を持ち続けている。

 これは少なからず中央にも、同じ考えを支援する勢力があるという意味。

 武力にて彼らの考えを平らに均す事をしない理由、面倒な場所という訳だ。

 今回の接触相手をボフダンにしたのも、王国中央との貿易の窓口であり、他人種に寛容であるからだ。

 純人族主義といっても、他種族を排斥するという過激な主張ばかりではない。

 人族の文化や権利を擁護保存する立場という訳だ。

 現在のコルテス内地の様子がわからないのも理由だ。

 経済的な結びつきがあるボフダンとの摩擦も避けたい。

 もちろん、一番の目的は、ボフダンの状況確認だ。

 今回の騒動。

 長命種人族系統種の蛮行とやらに、政治的な目的があるのか。

 内乱の兆候、全くの未知の出来事、腐土なる異変の始まりなのか。

 調査と三公との政治的な落とし所の手がかりをつくる為の接触。

 一時的な鎖領を続けているボフダンの状況がどうなっているのか。

 現地の支配者の意見、見通しを直接確認せねばならない。

 工業地域領である五侯爵を従える、大ボフダン公に接触を持つのが、今回の任務という訳だ。


 イグナシオとサーレルを頭に、小隊ひとつで行動する。

 シェルバンの土地の端を掠めて横切るのでゴリをしの行軍だ。

 人選は、最初から熱心な信徒暴力沙汰が好物の面々を揃えた。

 サーレルから特に注文がなかったのもある。

 イグナシオが選んだのは、彼と同じく純粋な男達神聖教分派の過激派ばかりだ。

 獣人でも、同じ部族で同じ洗礼を受けた者達だ。

 神の教えに忠実であり、穢らわしい場所を焼く事に関しては、信仰と忠誠心の証と信じている。


 今回も素晴らしい反吐が出る出来事が待っているだろうと、期待に胸を膨らませていた。


 もちろん、イグナシオもその一人である。

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