第892話 モルソバーンにて 其の八

 鏡にうつるは、爬虫類の尾を持つ何かだ。

 体はすべて、甲冑めいた黒い外皮に覆われている。

 遠目に見た限りでは、こちらの三人によく似ていた。

 しかし、歩み寄り近づけば、違いは明らかである。

 頭部を覆うツルリとした兜と下顎は、どうみても癒着していた。

 喉元や皮膚らしき灰色の部分も、甲冑の継ぎ目も同じく凹凸をつけて見せかけているだけ。

 人間に見せかけた外皮である。

 亀の甲羅と同じく、形を模した物で覆っているのだろう。

 カーン達が武器を抜くと、異形も武器を構えた。

 鏡にうつる姿のように、それは同じ動きで対峙する。

 違うのは、異形の背からは尾がうねり、醜い歯を軋らせる音だけだ。


 私は後ろに下がりながら、目を凝らす。

 この異形を構成する文字が見えない。

 穢れた気配はある。

 異界生まれのモノなのだろうか。

 その紋様は濁り、滲んでいる。

 形も定かではなく、粘ついて蕩けて見えた。

 人の顔貌に似せているが、材料が違いすぎるのだろう。

 それでいて不愉快な気持ちになる程度、似せている。


 カーンが剣をくるりと回す。

 すると対峙する異形も、同じく武器を回した。

 その武器は金属というより、やはり何か生き物が練り込まれているように見えた。

 そうして三者は異形と対峙し、少しづつ位置を移動し続ける。


 戦いに助力はできそうもないと、早々に背後の角錐へと目を向けた。

 私の位置からは、黒い影である。

 威嚇し合うカーン達を回り込むように、壁にそって近づく事にした。

 カーンの背後をとるように移動をする。

 そうして少し近づくと、その角錐が不規則に動いているのが見えた。


 脈打つように、ゆっくりと。

 息を.. 

 厭な予感に、足を止めた。


(深呼吸だ。

 怖いことは無いよ。

 悲しいことだとしても、君が耐えられるだけの悲しみだ。

 さぁ、グリモアの主よ、供物の女よ、可哀想な僕達のお姫様。

 彼らに救いを、神の子として救いの手を差し伸べよう。

 共に、悲しみを見定めて、愚かしい行いを止めるんだ。)


 太さは大木ぐらい。

 暗闇の中で、もぞもぞと動いている。


 あぁ、見たくない。

 あぁもう、うんざりだ。

 あぁ、なんて馬鹿な事を。

 怖くないさ。

 怖くない。

 でも、酷い。

 酷いじゃないか、許せない。


 覚悟を決めて見定める。

 グリモアが教える事々、その意味。


 彼らは生きていた。

 これは、今までの取り込まれた命の残骸ではない。

 まだ、生きている。

 歪な命の言葉が見えた。

 断絶し、混在した命。

 少なく見ても、十人以上の命の言葉が見えた。


 男、女、子供、大人、老いている者、病んでいる者、命、たくさんの命。


 口を両手で押さえた。

 吐息しか漏れないが、自分の口を押さえる。

 しっかりと見なければならないのに、視界が歪む。


(人が特別なのではない。

 天秤に載せられる熱量、領域を支える為の錘。

 特別な材料なのではなく、この領域に適した生き物であるだけの話だ。

 だからこそ、材料として使われる。

 お前は人であるから、人を主軸とした価値観と考え方をとるだろう。

 人間の魂や命に価値があるから、敵が攻撃をしかけ奪おうとするのだと。

 だが、それは違う。

 人が利用できる材料に過ぎないからだ。


 心得違いをしてはならない。

 特別な生き物であるという考えが弱みとなる。

 事実、魔導に感化を受ける人間は、己こそが特別であると思い込まされるのだ。


 眼の前にあるコレは魔導によるが、これを嬉々として行ったのは何者だと思う?


 魔導とは、呼び込む者がいなければ力を得られぬのだよ。

 呼び込む人間がいなければ、たいした力はふるえぬのだ。

 我らが神を盲信する者に、魔導が手を伸ばせぬように。

 己が卑小な存在であり、神の手にすがる者は愚かであるが、救われているのだ。


 人が行いなのだ。

 そうして魔導が人という生き物を利用するのは、その総数を減らす事による領域の変化を望んでいるからだ。

 囲いの中の命を入れ替えてしまえば、それが領域を改変させ、尚且つ領域そのものである神の死を望めるからだ。


 人間が人間を殺し減らす事こそ、勝敗の鍵である。

 人がいなくなり違う生き物が蔓延れば、奉じる神も変わるであろう。


 さてお前は、これを見てどうとする?

 泣いて隠れ、滅びに怯えるのか。

 さて、どうする?)

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冬の狼 C&Y(しーあんどわい) @c-and-y

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