本作は、異様な主人公をもつ架空歴史小説の傑作です。
大長編ながら、平易な筆致で巧みに開示される情報が読者を驚かせ、惹きつけ、戦慄させ、次へ次へと読み進ませてやみません。
第一部前半は、想起される破滅をたくみな調整、示唆、妥協と説得で回避していくスリラーのようです。剣や銃ではなく、調整、示唆、説得を武器にして生き延びる特異な主人公に、驚かされつつ魅了されました。
第一部後半では、先ほどまっで必死に避けようとしていた破滅が、ほとんど約束されていることに驚愕させられます。さらに翻弄されるのは、必死に破滅を避けてきた主人公が、自らの破滅への道を舗装していく様です。やめろ、引き返せ、そっちに行っては駄目だと、何度叫びたくなったか数え切れません。
第二部では、破滅が迫る中で、主人公の努力の結果が描かれます。ただし、焦らしに焦らした上で! ええい、それで彼や彼女は助かったのか、第一部から予感させられているように露と消えたのか、どっちなんだい。そう切歯扼腕しつつ、ぐいぐいと読み進まされました。
最終章で明かされる結末は、曖昧でもどかしいものです。本作の登場人物たちは万能の英雄ではなく、それぞれの不幸を抱えて生き、あるいは死ぬ、意志ある人間だからです。
とはいえ、彼ら彼女らは破滅の大波を乗りこなし、人類史上の大悲惨を二つながら小さくとどめ、家族のつながりを守ります。それも、一英雄の明断によってではなく、各々が意志を持って動いた相互作用の結果として、です。
彼ら彼女らが、そのように意志できたということ自体が大団円の一部なのだと気付く時、この物語に描かれた世界の歴史、社会の歴史、その中で生きた家族の歴史に大きな感動を覚えました。
実際の歴史を生きた人は、たとえ世界を動かしたかに見える英雄であっても、その実は世界に踊らされています。
同時代の大国とその指導者たち全てを掌に載せていたようにみえる男、ビスマルクは言いました。「人には出来事を作り出すことはできない。ただそれを乗りこなし、舵をとって滑るのみだ」と。
本小説の主人公グロワス十三世はまさにそのように、出来事の流れの不可避であることを知って、その少しでもマシな乗りこなし方を目指す人です。ただし、最も消極的なやり方でもって。
そのような、およそ主人公らしからぬ人物を中心に据え、現実と架空の二つの歴史を巧みに使って多層的な物語を描かれた筆者こそは、巧みに歴史を乗りこなした方なのだと思います。素晴らしい物語をありがとうございました。
自らを無能な指導者と信じる者が王に生まれ変わったらどうなるか?
この作品には前世の知識で主人公が活躍する作品のアンチテーゼとして出色の魅力があります。
そもそも素晴らしい王とはどんな存在か?
太陽の如く輝き、臣下を強烈に導く君主は自身が才気に溢れた者でなければなりません。
この作品の主人公は、その対極にある月のような存在です。
自らが輝くことなく、臣下によって照らされていることをよく理解しています。
自らを信じない代わりに臣下の能力を信頼し、存分に働きたいと思わせる君主なのです。
どうですか?彼がどんな未来を作るのか、見たくなってきませんか?
興味が湧いたら是非読んでみてください。私はとても面白いと思います。
異世界転生の形式を取っているが、内容は市民革命前夜の近世へと移り変わる時代を生きた一人の人間の苦悩を描いており、架空歴史ものとして素晴らしい作品
魔法などの超常は存在せず、どこかで見たような特定の施策(農政、軍制の改革)が嵌まって強国に生まれ変わって周辺諸国に無双したりすることはない。
上手くいった施策も他方に副作用を生み、外交は永続せず、対外戦争で手軽で華々しい勝利を得ることもなく、ひたすら重責に苦しみながら生涯をかけて近代国家への内実の転換を図っていくお話。
崩壊し始めた岩壁のような中世封建国家の中で、とりたてて優れた才覚のない男が破滅的な崩落を防ぐためにどう振舞ったか。ついでに、お手軽にやっつけられるおバカな引き立て役も登場しません。ちょい役を含めて、人物はみな自分なりに考えて生きています。
特に、何か所か出てくる演説の際の文章がよいです。ときに上滑りし、ときに支離滅裂で、ときに真摯な台詞はなかなか味わいが深い。(名演説に胸を打たれた観衆に歓呼されたりすることはないです。どちらかというとこの人なに言ってんの?という反応)