第865話 モルソバーンにて 其の五
東の地には魔女がいる。
そうだ、魔女だ。
私が魔女か、そうなんだな。
皆を救えたのか?
地獄に堕としただけなのか?
土砂降りの雨の中、イグナシオの顔が怒りに歪む。
獣の相が牙を軋らせた。
「チクショウ、サガッていろ、灰にシテヤル」
それにザムは私を抱えると、腕で頭から流れる血を拭った。
頭部と首の出血が多い。
彼はぶるりと顔を振り唸る。
「ダイジョウブ..よ、これ..い体をカッセイ..せりゃぁ」
それでも見るからに痛々しい。
白い毛並みが固まりかけた血で引きつっている。
「カーン、合図したらサガレ、誘爆シタラ遮へい物をサガシて、カッテにナントカしろ」
押し寄せる異形を押し返していた男がゲラゲラ笑った。
「どうせだ、派手にやれ」
「また..無茶を..巫女様下が..すよ」
それでも少しずつザムは調子を持ち直しているようだ。
イグナシオの様子を見て、彼は建物の壁にそって徐々に距離をとる。
その間にも飛びかかってくる異形の首を落としては、蹴り飛ばしていた。
この領域に馴染んだからか、異形の黄色い体液が見える。
「準備は」
「スグだ」
イグナシオの周りに集まる異形を、カーンが落とす。
その間に、イグナシオは下げていた金属の筒を取り出した。
「キエウセロ」
合図もなしに、軽い射出音が響いた。
カーンは飛び退き、ザムは私を抱えたまま建物の隙間、壁の間に身を滑り込ませた。
一瞬、音が消える。
雨音も何もかも消えて、耳朶に痛みを感じる。
始まりは光り、次に振動を感じ、直後に熱風が吹き抜ける。
ザムの毛並みが逆立つのを最後に、私は目を閉じた。
***
不快な音をたてて、異形の燃え殻が降る。
ザムは私を立たせると、壁の向こうを用心深く覗き込んだ。
「誘爆は、しなかったぞ..多分」
獣化を少し戻しつつ言う、適当な言い訳が苦しい。
そんなイグナシオだが、次の弾をいそいそと装填していた。
「大方は消し飛んだ、これ以上だと下が溶ける」
工房の外観は無い。
並ぶ炉に直接雨があたり、嫌な音をたてている。
使い物にならないだろう事は、素人目にもわかった。
吐き気をもよおす臭気。
火薬の匂いは未だに濃く、黒煙がもうもうと立ち上る。
火の粉は舞い、雨は湯気になる。
豪雨で街中へと石材や鉱物などが溶け出し、流れ落ちる事はなかった。
だが、未だに資材が高温のままなのか、熱を発している。
確かに誘爆は起きていないが、雨脚さえも弱らせ、早々の鎮火は望めそうにもない。
モルソバーンの産業は大打撃だ。
「どうせ化け物が居座ってやがったら、商売にもならん。
民が死んでは、公爵も搾り取れねぇ。
許してくれるさ。
それこそ感謝してくれるだろうよ。
ただで、火薬を振りまいてやったんだ。
掃除の代金ぐらいはよこすだろうさ。」
『言い方に気をつけましょう、旦那。』
「俺は正直者なんでな。
ナシオ、だから二発目はいらねぇからな。
御寄進元が吹き飛んじまったら、神様への浄財が減っちまうだろうが」
一撃で化け物を消し炭にした男は、しぶしぶと筒状の武器を背に戻した。
何で浄財?
「コルセスカ上級士官殿の支給火薬は、その殆どが支援者からの融通なんですよ。
軍の支給品以外の特別枠って奴です。
お清めの為にと、支援者の方々から特別に送られているんです。
その多くが神殿で、上級士官殿は神の意向ってので焼いているんです。
神官様方がお清めの行事をなさるのと同じ感覚なんですよ。
公爵殿も、不浄を清めてもらったからと神殿へと御寄進をなさるでしょうって意味です。」
意味がわからない。
「自分も今まではわかりませんでしたが、少しわかってきましたね。」
ザムは喉をさすりながら、肩を竦めた。
「まぁ嫌な世の中ですからね、きちんと塵は焼くに限りますよ」
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