第864話 モルソバーンにて 其の四 ⑤

 何が不満だ?


(不満だらけだよ、オリヴィア!

 見るがいい、この穢れた世界を。

 魔導などと神を愚弄する裏切り者がいるんだぞ!

 命を無駄に奪い、君の安らかな日常を握り潰したんだ!


 そもそも君は、ここで何をしている?

 君は供物だ。

 神の子だ。


 君は怒りを覚えるべきだった!

 君は傲慢に尊大に、力をふるい邪悪な者共を焼き尽くしてもよかったんだ!

 君は神を罵り、その手落ちを糾弾し、その力をそぎ取ってもよかったんだ!

 あぁ羨ましい限りの機会だったのに。


 残念だ。

 王にもなれる力を持っているのに、君は正義や正しさに呑まれなかった。


 君は人を慕わしく思い、愛を選んだ。


 偽善者め!


 わかってるよ。

 僕の叫びは、ちょっとしたヤジだ。

 君は嘘をついているけれど、偽善者ではない。


 大丈夫。

 これ以上、君からは奪わない。

 今回はね。


 君の唄は届いたんだ!


 理をひとつ壊したが、それは元の姿に戻しただけなんだ。

 神が置いたひとつの決まり事だったけど、それは先にある事を失わせていた。

 つまり、重なっていた布をとっただけなんだ。

 わかるかな?

 君の唄は届いたんだ。

 聞いてごらん、君の唄に応える声を。

 この東の土地は応えた。

 生き返ったのさ。

 モルソバーンだけじゃない。


 そう、生き返らせたんだよ。


 この土地の魔が応える声が聞こえないかい?

 この土地の偽りは剥がれ、血の雨が降るだろう。

 君の偽善、君の真心、君の本心によって。


 でも、それは悪い事じゃない。

 たとえ君が願う人の安らかな暮らしが失われたとしても。

 無知によって命を失うことは無くなるのだから)


 天空に螺旋は溶け、雷雲を呼ぶ。

 青白い閃光が、空を横に奔った。


 モルソバーンの街に、土砂降りの雨が降る。

 重い雨粒の向こう、街のそこここで悲鳴があがる。


(目覚めの斎いだ。

 供物の女、これで皆、同じだね。

 不幸を分かち合う事ができるよ。


 ねぇ聞きたかったんだ。


 僕から見ると、君は綺麗だ。

 魂がとても綺麗だ。

 どうしたら、綺麗でいられるのかな?


 穏やかな人々に囲まれて育てば綺麗になれるのかな?

 クズな家族がいなければ、嫌な心も育たないのかな?

 孤独に暮らしていれば綺麗でいられるのかな?

 他人の不幸に感謝するような心根にならずにすむのかな?


 どうしたら、よかったんだろう?


 不幸になればいいなって。

 皆、死んじゃえばいいのにって。

 誰かの悲しみに安堵したりしたことない?


 人間だもの、一度や二度はあるだろう。

 けど、君はそんな気持ちを嫌だなってわかってる。


 そしてね。

 今日、この時から、彼等も知っただろう。

 他人の不幸を望むような屑どもも理解した。

 理を犯した者の末路がどうなるか。

 いずれ人間の残り滓みたいな最後になるってね。

 自分がをしてただけだって、気がついちゃったからね!


 ねぇオリヴィア。


 君の所為で、魔が目覚めるよ。

 せっかく眠らせたのにね。

 人は魔と穢れの区別はつかないだろう。

 切っ掛けをつくった君を、人は魔女と呼ぶのさ。


 君が生かそうとした人間が、君を殺しに来るだろう。

 恩も忘れてね。

 きっと人間は、君を疎むだろうね)


 私は雨に打たれて、流れ行く血を見ていた。

 ゆっくりと力をたたむ。

 薄く広がる力が、押し返されたからだ。

 反響が返り、これ以上、力を注ぐ必要はないようだ。


 唄をおさめていくと、胸の中に小さな炎が見えた。

 これは、命の炎だろうか?

 そうか、グリモアに溶け、形として見えるようになったのか。

 私は、いつまで私でいられるのだろうか。

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