第843話 モルソバーンにて 其の一 ⑦

 屋号にしては同じ印ばかりというのも変だった。

 装飾にしては、目立たぬ場所にある。


 星と形容したが、ギザギザの尖りのある円だ。

 それに持ち手が描かれた剣が、真ん中を抜き円を分けている。

 図形に意味をもたせる事は文字よりも古く、紋章や綴れ織りの壁掛けなどにも利用されてきた。

 現代の紋章は文字主体だが、古い家柄だと昔ながらの絵図になる。

 良い例がアイヒベルガー侯爵の神鳥と剣、斧の紋章だ。

 ライナルトの肩当てにあった紋章には、文字は使われていない。

 侯爵よりも後の年代、その時の王によって家名を与えられたのであれば、そこに文字が入る。

 年代や家格によって紋章官が厳格に監督するわけだが、大まかには古ければ絵図のみ。

 近代新興貴族は文字のみとなる。

 で、当然であるがライナルトの装備は、青馬侯の神鳥紋章そのままが肩にあった訳だ。

 家名を流麗な文字で装飾するのも美しいものだが、本家筋となれば絵図のみとなり、それは家格が高いという証拠にもなる。

 庶民からすれば、一律、貴族は貴族様であるが。


 それでは庶民の看板や家屋に刻まれる屋号などは、どのような物になるのか。

 子供には教育を与えよと言うが、識字率は低い。

 肉屋なら鳥や牛の絵が描かれ、魚を売るなら魚だ。

 売り物をそのまま絵図にするのだ。

 酒場は酒樽と、万人にわかりやすい物になる。


 こうした絵図、絵文字や図形は古くからある。

 王国ができてから普及した共通語文字よりも人々には馴染が深い。

 そしてどのような種族であっても、図形を見ればおおよその意味がわかるようになっていた。

 絵だけではなく、その図柄の組み合わせで意味が通るようになっているのだ。


 その定型に照らし合わせると、先程の図柄はどうなるのか。


 円は、月や太陽を表す。

 尖りは、光る様だ。

 細かく描かれると、それは煌めきであり、大きく描かれると後光のような強い光の意味だ。


 見かけた紋様は、細かいトゲトゲの円だ。

 月が光り輝いているという意味だろうか?


 そして剣だ。

 剣には様々な意味があるので、全体の図柄を見ないと意味をとれない。

 そこで剣が何をしているか?となる。


 剣は、月を二つに分けている。


 剣が月を斬る。

 これも庶民には馴染み深い寓意だ。


 月を断つ有名な神話がある。


 昔、月は満ち欠けをしなかった。

 神の子供である、太陽と月は、仲良く昼と夜を受け持ち地を照らした。

 調和のとれた世界で、人は安らかに暮らしていたのだ。

 しかし、人は満足を知らぬ生き物であった。

 恐れることを知らず、痛みも知らず。

 残酷で無邪気な生き物であった。

 そこで神は様々な試練を人に与えた。

 昔話にある英雄の冒険だ。


 その者の生き様を見て、人という生き物を見定めようとしたのだ。


 航海を脅かす海原に棲む化け物を退治すべし。

 神託を受けての英雄がたち、大海原にて詩になるほどの冒険が繰り広げられた。

 仲間を得て困難に打ち勝ち、多くの血を流して怪物を退治した。

 そして国に帰って王になるのが定石か。

 しかして英雄は国に帰るが、讃えられる事はなかった。

 人の王は彼を恐れたか、神に挑むは愚かしすぎるとその蛮勇を諌めて終わる。

 そして人の勝利はもとより約束された事であり、あらゆる命の上にあると宣言した。

 人は神と同じであり、多くの命はそれを支える為にあるという。


 傲慢の過ぎる考えに、英雄のみが恐れ痛みを覚えた。


 神の試練に打ち勝った者だけが、人として学ぶ事ができたのだ。

 そして同じ人を恐れ、その欲望と残酷な考えに心を痛めた。

 それでも英雄は同じ人を裁かず、無知ゆえの過ちとして神に願った。

 神に願い、己が亡骸を星にと願った。

 そう、神が選んだ英雄は、国に帰り処刑されたのだ。


 ここでやっと神も理解した。

 己が選んだ魂を手のひらに戻すと、己が罪を認めた。

 神は己が過ちを認めたのだ。


 神は愚かしい生き物の事がわからない。

 だが、与えなかった故に、このような魔物を産んでしまったと気がついたのだ。


 神は、魔物に痛みを与えた。

 産まれ死にゆく定めを与えた。

 そうして魔物を人に戻した。


 そしてこの愚かしさを忘れぬようにと、神は己が子にも剣をふるった。


 過ちを忘れぬように、月は必ず死ぬように。

 新月は月の死を示し、人の傲慢さを戒める。


 まぁ自然の現象をもじった教訓のお話である。


 ちなみに、太陽は神の剣から逃げ回って、死なない。

 親の過ちを何で自分が精算しなきゃならんのだ!という罵倒を言ったというお話もある。

 尤もであるが、神話は理不尽極まりないものである。


 その太陽は、時折思い出しように神に追いかけられるので隠れる。

 太陽の隠れる年は災害が多い等と言い伝えられているが、こじつけかな。


 と、まぁ月を断つ剣とは何か?


 答えは、神罰、神の力、怒りとなろうか。

 中々に、恐ろしい意味合いの図柄だ。

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