第666話 挿話 兵(つわもの)よ、剣を掲げよ盾を押せ (下)前②

「よくある話しじゃないですか。

 他人との諍いよりも、身内の殺し合いのほうが激しくなる。

 遠き地の異国の隣人よりも、塀一枚向こう側の近所の人間のほうと嫌い合う。

 自分達と同じ長命種であるからこそでしょう。

 我々は違いすぎて、競うことも争うことも端から考えもしない。

 嫌悪するというには、遠すぎるのでしょう。

 それに先に我々を畜生と罵る者がいて、その姿を間近で見たとして、それに同調するほど、彼らは物を知らない訳では無い。

 むしろ、新しい技術を欲しがる土地柄です。

 見慣れない、知らない事柄を恐れも下に見るも、馬鹿のすることと思えたんじゃないですか?

 馬鹿の先例が眼の前に、自分そっくりの姿でいるんです。

 それも日々、他の仲間に手を振り上げて、自ら凋落していくんですから。」


 サーレルの言う通り、シェルバンは飢饉でも無いはずが、貧しさはどこにでも見えた。

 関の町でさえ、豊かな様子ではなかった。

 兵士の装備も古い。

 それがボフダンの湾岸都市、工業都市とよばれる五侯爵領に近づくだけで、見える物すべてに手が入っていた。

 手とは、道、森、川、人々、すべての事だ。

 道は均され、森は手入れのあとも清々しい。

 川辺は不要な淀みもなく、見回りもされているのだろう。

 街道は旅人の為に設けられた野営地用の空き地もあった。

 出会う民草は、農民も衣服が整えられ、泥にまみれて遊ぶ子らの姿もあった。

 いずれも飢えてはいない。

 良き治世が行われていると一目でわかる。

 遠巻きにイグナシオ達の行軍を見るが、道を聞けば答え、そして問もする。

 何か危急の事でもおきましたので?と。

 恐れる様子も無くだ。

 無知なのではない。

 きちんと中央軍の者だと認めてなのだ。

 中央の兵士がやってきた。

 災難であろうか、大戦おおいくさの徴兵だろうか?と。

 本来、同じ中央王国の中なのだ。

 これが本来の姿なのだ。

 旅人に棒を持って襲いかかるような荒廃がまかり通る。

 獣人を畜生と言って石を投げつける。

 中央の兵士の区別もできない。


 中央王国樹立時の宣言文書にある理想、思想に反する主張をする彼らこそ、野蛮、ケダモノだ。


 多民族の国である。

 生きていくために弱き者どうしで手を取り合う。

 他者を排斥せず。

 他者の主張も己が主張と同じく認め合う。

 そのために、権利を守る為に戦う。

 生きる権利の為に。

 そこに姿形による差別はない。


 それがどうだ。

 昔々、奴隷として獣人を扱った者と同じ言葉を正しいとする。

 それは中央王国が戦ってきた相手と同じ主張だ。


 人は弱いものだ。

 と、イグナシオは知っている。

 誰かを下げ、悪者にしなければ耐えられない者もいる。

 だから、殊更、シェルバン人を憎みはしない。

 ただ、そうした思考誘導をする支配者は滅びれば良いと思う。

 己が失策、己が欲に、下々を巻き込む輩は、滅びれば良い。

 シェルバン公はわかりやすい愚か者だ。

 では、ボフダン公はどうであろうか?

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