第641話 神の目 ⑤

 左利きの男、騎士デフロットは唸るように続けた。


「私の言葉で確認したいのか?

 血を報復をと叫ばせたいのか?

 あぁ私は間に合わず、貴方も救えなかった。

 憎い敵は、未だにのうのうと生きている。

 憎い。

 あぁ憎いとも。

 己が憎い。

 だが、死ぬなと望まれた。

 私が死ぬ時は、我が君の元へ行く。

 そして必ずあ奴らを呪おう。

 死の神に願うだろう。

 地獄のようなこの世にて、蛆虫の如く這い回る人生をと願うだろう。

 だが、我が君が願うなら、死を報復をも下に置く。

 それが願いならば、私も杭になる。

 皆、悲しい。

 皆、悔しい。

 だが我が君は、貴方の姫は望まれた。

 この土地の平穏と貴方の命、家族を守る事を。

 己が命を杭とせよと。


 それがいにしえからの約束だからだ。

 貴方も、こうして私が言わずとも、わかっておられよう。

 を違えれば、子々孫々、明日を望めなくなる。

 我々から、約定の破棄はしない。

 姫の温情ではない。

 貴方も私も、相手が約定を違えるのを待つ。

 戦をしない理由は、姫の慈悲ではない。

 わかっているでしょう?

 彼らが始める。

 そして終わるのだ。

 何もせぬ事こそが、相手の滅びを招くのだ。

 バンダビアの者は約定を違えない。」


 震える声が続ける。

 諭すように、そして泣くのを堪えるように。


「姫は貴方の妻、家族になった。違うのか?

 私は姫と共に、コルテスの地の塩になると誓った。

 ならば杭となられた方と同じく、私は踏みとどまる。

 本意は姫の徳とは真逆だとしてもだ。

 それが私の選んだ生き方だ。

 貴方は、宗主、貴方はどの道を選ばれるつもりか?」


「私は、あの人の犠牲を望んではいなかった」


「まだ言うか。

 姫が聞けば笑うだろう。

 この弱虫めと、飼い猫よりも子供なのかと。」


「テトも何処かへいってしまったな」


「飼い主を探しに行ったのだろう。

 さぁ貴方も私も人生を費やし約束を果たすんだ。

 決して、自害等という無様な真似をするな。」


 その瞳には薄い水の膜が張っていた。

 長らく仕えた主人を失い、王家に帰る事を拒んだ騎士。

 コルテスにて果てると誓った男は歯を食いしばり、言葉を結ぶ。


「宗主、姫の願いをお聞き届けください。

 どうか、この地に繁栄と安らぎをお与えください。」


 公爵は、友人を見つめ頷いた。

 それから書類を受け取ると、素早く名を入れた。


 ***


 目を見開く。

 暗闇だ。

 ここは何処だろうか?

 耳を澄ますと木々を揺らす微かな風の音。

 香るは夏の夜の森を思う。

 暗闇に目を凝らすと、座る者の影。

 長い長い黒髪、青白い面。

 疲れたように目を閉じる。


『貴方は?』


 その手には長い槍、武装した姿をしていたが、何処か懐かしい面影がある。


『汝は、何を願う?』


 目を閉じたまま、相手が問う。

 それに彼女は暫し考える。

 間違いを選び続けた一生であった。

 愚かにも未だに望む事は多くある。

 だが、己が与えられた無惨な死は、定めとわかっていた。

 生き返りたいとは欠片も願うつもりはない。

 嘘をついて生きるより、正しいと思える事を選びたかった。

 死した後に思うこと。

 彼に伝えた事。

 あの人は、信じてくれるだろうか?

 まだ、、と。

 きっとあの人は、信じるだろう。

 とても素直に、私の事を信じるだろう。

 私の罪を、手に取ってくれるだろう。

 それでも、私自身の償いにはたりない。


『汝、苦役を担いし者か?』


 苦役とはなんでしょうか?

 お教え願えますか?


『古の約定を果たす者。

 この依代となる形が元、その者の罪を償う行いである』


 依代となる元、その罪?


『古の約定は示す。

 牢獄の鍵となるは3つ。

 その杭をもって罪人の子は烙印を押される事無く産まれる。』


 暗闇の中、遠く人のざわめきが聞こえる。

 死した者にだけ許される、真実の時。

 答えが彼女に届けられ、己が罪の意味を知る。


 この出来事の先にある、禍事。


『汝、苦役を担いし者か?』

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