第642話 神の目 ⑥

 私は臆病で、死の苦しみを恐れていました。

 死を知らぬのに、恐れていました。

 嫌われる事も、恐れていました。

 拒絶される事、憎まれる事、辛い言葉を投げかけられる事。

 私の人生は無駄である、お前は役立たずの無能である。

 その言葉を与えられる事を、恐れていました。


 正直になるのは、とても難しい事です。

 何とか言葉にできるでしょうか。

 告解。

 私の嘘を、言い訳を。


 嘘の始まりは、一人になった時から。

 母が消え、姉が送り出された後、考えるようになりました。

 私は、嘘つきでした。

 私は、母とされる人の苦しみを見て育ちました。

 そしてその母と共に、葬り去られた人々を目にして生きてきました。

 何も見なかった。

 何も知らなかった。

 と、嘘をついて、生き残ろうとしました。

 兄には、真実を言えませんでした。


 報復が怖かった。


 兄が死んだら、この国は終わる。

 私を許してくれた人たちが、死んでしまう。

 色々、理由を並べても、結局は、私自身の命を惜しんだのです。


 私の卑怯な嘘を知るのは、同じ場所で育ったデフロット。

 私を理解しようとした可愛らしいミカエルだけです。

 けれど、それに甘えて生きながらえる事は辛かった。

 私は、私自身に失望したのです。


 強くなりたいと思いました。

 許されて、幸せだと感じた瞬間。

 私は、私が駄目なんだとわかりました。

 愛を与えられ、許された。

 けれど、私が許せない。


 そして私の番が、来ました。

 何と因果な話でしょうか、今ならわかります。

 これが、私だけの間違いではないと。

 何と、因果な事でしょう。

 だから、少しだけ残していくことにしました。

 私の大切な人に、私の内緒話を残していくことにしました。

 そうすれば、タークは死ぬのを躊躇うでしょう。

 真実を知りたがるでしょう。

 私が何に怯えて生きてきたのか。

 何故、貴方のまわりで不幸が続いたのか、その本当の答えを知りたがる。

 人は何か、ひとつでも執着する事があれば、生きていける。

 そして、私は自分の死を、今では恐れていないという事を理解できるでしょう。


 私は、に死ねました。


 これが苦役を継ぐ意味、本当の意味、なのでしょう?


 ニコルの問いに、男はゆっくりと目を見開いた。

 涼しい目元に、暗い色の瞳が見返す。


 やはり、兄に似ていると彼女は微笑んだ。


『人の業を宥め、無情を慰め、魂を背負う。

 欲に沈みし者を引き連れて、鎮護の道行きを行う。

 昼無く、夜無く。

 人の罪を背負い、痛みの中を歩き続ける。』


 何故、貴方が?


『朕は、依代、形のみ。

 最初の罪の形也。

 朕を動かすは、人の嘆願、願いである。

 迷いし者どもを歩ませ、三世を越えて禊とす。

 この苦行にて、地を平らかに保つ。

 すなわち浄化の行なり。

 この約定を保つ限り、杭となる血の者どもの罪は許される』


 許される?

 私の家族は許されましょうか?


『汝、苦役を担いし者となり、願うか?』


 許されるのですね。

 私の家族、私の希望、私の明日。

 私の願う、幸せ。

 この地に人が暮らし、希望をもって生きる明日。

 この地が平らかであるならば、私の家族、私の知り得た人々の、明日が望めるならば。


 間違った私が、選べる正しい答え。

 私の願い。


「私の大好きな人達が、幸せでありますように。

 私は、願います。

 嘘はもう終わり。

 夢のように儚くとも、輝かしき明日を願います。」


 意思なき依代と言いながらも、男は疲れたように笑った。


『夢のようにか』


 そしてスッと立ち上がり、一瞬の内にその姿は変わった。

 に、不死者の王は姿を見せた。

 彼女は神が頷き微笑みかけるのを感じ、には昏い薄靄だけが見え、囁きだけが広がる。


『では、モーデンの子の願いを受け入れ、汝は夢に揺られるが良い。

 夢にたゆたい、三世を巡り、楽しき旅路に向かうがよい。

 我は痛みの道を進み、汝が夢を守ろう。

 汝が願いに値する、子らの行いが続く限り』


 汝が願いに値する、子らの行いが続く限り。

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