第606話 花が咲く

「はぁ?」


 カーンは呆れたようにザムを見た。

 見てから、表情が驚きに歪む。


 何を驚いてるんです?


「いや、お前、喋ってねぇな」


 喋れないですからね。

 それにしても、朝食に出た焼物の具は、何の肉なんでしょう?

 乾酪と混じって、美味しいような美味しくないような。


「鴨の肝臓だ」


 おぉ中々に、高級品だった!


「オリヴィア」


 はい?

 薬湯の口直しに、白湯を飲む。

 飲んでから傍らの男を見上げて、首を傾げた。

 何?


 ***


 私はひとまず、一人で館を歩かせてほしいと頼んだ。

 つながりが深くなった為に、何処にいようとお互いの存在がうっすらとわかる。

 お互いにだ。

 実験を提案した。

 どのくらい離れてもわかるか、お喋りできるのか。

 即座に却下、説教付き。

 それに過保護になるなという私。

 弱っちい脆弱な私を論うカーン。

 それでも最後に私が勝った。

 小さな勝利である。

 もちろん、一人は駄目だったが。


 ますます、常人の枠から外れていく。


 苦々しい私の呟きに、カーンが笑う。

 私が固執する普通という概念が面白かったようだ。

 鼻で笑って、小馬鹿にしたように首を振る。


 まぁ、旦那が神経質な男じゃなくて良かったです。


 これは本音。

 意識が繋がりあうなど、どう考えても気味の悪い話だ。

 相手に考えが筒抜け、この場合お互い様だが、嫌がられても当然だ。

 救いは、詳細な考えの共有は、意識しなければ伝わらない事か。

 それでも気分や考えが、ぼんやりと繋がるのは、きっと嫌な事だ。

 申し訳ないと思う。


「それは俺の台詞だろう?

 喋らんで俺に考えが伝わるってだけで、気持ち悪いんじゃないか?」


 気持ち悪い?

 それはグリモアの主の私の事でしょう。


 それに私は複雑な人間ではありません。


「お前が単純なら、俺はおが屑が詰まった麻袋だ」


 私が不器用な事はわかるでしょう?


「嘘が下手糞だよな」


 そう、嘘だ。

 私の場合、伝えてはならない事をグリモアが制御している感覚がある。

 だから、後ろめたい気持ちを感じさせない事だけが気がかり。

 喋りかけようとする内容だけが詳細に伝わっているようだしね。


 他は、伝わっても別によかった。

 私の考えなど、日々、小さな事だ。

 食事の味。

 天気。

 果物の保存食。

 外の事々以外、本当に小さな世界に暮らしている。

 その時々の考えを知られても、別に何も痛まない。


「お前の方が大物だよ」


 徐々に外は明るくなっていた。

 食事を終え、館の広間、外へ続く扉へと歩く。

 カーンは離れていき、やがてお喋りは途切れた。

 その存在は感じられたが、距離を開ければ、そこまでの強い意識の繋がりは続かないようだ。

 ゆっくりと崩れかけた建物を歩く。

 ただ、護衛を除いて一人で歩くのが難しい。

 今にも転ぶのではないかと、周りに人が集まるのだ。


「一人歩きさせているところだ。構わんでいい。」


 左の部屋を探るカーンからの声で、集っていた兵士達が離れた。

 ザムの笑いが背後でする。

 護衛は仕方がない。

 足も不自由だが、やはり貧血は続いているようだ。

 転んでひとりで起き上がるまでに、まわりに恐慌を引き起こすのがオチである。


 ふと、この状況がエリと同じである事に気がつく。

 成る程と喉を押さえた。

 声を喪う意味は、単に代償ではないのだ。

 神と語らえば、人の言葉は失われる。

 半歩、異界に足を踏み入れた者は、この世から存在が薄れるのだ。

 留まっては帰れなくなる。

 この世にあって、この世に無し。

 言葉を喪うだけで、今回は済んだ。

 私の役目、本当に命差し出す時は別にあるのだ。

 それがわかった。

 私は昨夜、死んではならなかった。

 でも、何れきたる事。

 その時、何を思って差し出すのだろうか?


「何か細けぇ事考えてるだろう!オリヴィア、体に悪いから、クヨクヨしてんじゃねぇぞ」


 館の内部ぐらいだと、どうやら筒抜けのままのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る