第350話 幕間 内緒話 ⑥

 出立は、夜だった。

 夜陰に紛れてカーンと仲間の男達だけの出立だ。

 誰にも挨拶もせず、すっと夜に消える。

 後を追う者がいるかどうか、それも残るサーレルが配下と共に確認をすることになっていた。

 カーンが身一つでの移動になると伝えても、少女は落ち着き払ったものだった。

 我慢強いのか、単にこちらに気を許していないのか。

 カーンには判断がつかなかった。

 信頼されていないのは承知していた。

 恐れてはいないだろうが、信じてももらえていない。

 当然だ。

 見知らぬ人間の、それも人生を狂わせた相手だ。

 まして間抜けにも忘れている。

 結局、娘の顔を見ても、何も思い出せなかった。

 欠けた部分の綻びさえもわからない。

 呪われていると言われても、娘を見つけてからは幻聴も幻覚も消えた。

 なんとも歯がゆかった。


 忘れていない。と、言われた時。


 お前には期待していない。

 と、言われたのだと思った。

 それは許しであり、拒絶だ。

 被害者である娘は、あきらめたのだ。

 もう、助からない。

 お前では助けにならない。

 それには、ガツンと揺さぶられた。

 殴られたように、あの時カーンは感じた。

 そして覚えのある熱が大きくなった。

 怒りだ。

 自分への怒り。

 理不尽をまいた人殺しへの怒り。

 人生をあきらめる、娘への怒りだ。

 その時分まで、カーンはオリヴィアという娘への関わりは、それこそ一時的なものであると考えていた。

 ボルネフェルト公爵の事件や今回の事柄での繋がりはあろうが、そこに人としての繋がりが続く事はない。

 立場も考えもかけ離れた人同士だ。

 だが、これは違う。

 と、その時思った。

 子供の頃に思った気持ちが蘇る。

 理不尽な大人による、ままならない暮らし。

 力のある人間の理不尽さ。

 確かに己は理不尽だ。

 そうなるように生きてきた。

 今度は自分が勝手にすると。

 嘗ての理不尽に抗い、笑い飛ばす為に。

 だが、それは昔の自分と同じような、立場の弱い子供にする事ではない。

 わかっている。

 これは欺瞞だ。

 なら、聖者のように暮せばいい。

 人殺しで偉そうに命令する馬鹿が言っていいことではない。

 諦めないでくれというのも理不尽だ。

 ならば、どうする?

 守れという依頼ならば、そうしよう。

 そして理解させるのだ。

 あきらめたのは間違いであると。

 間違いである事を認めさせるまで、忘れた事を思い出すまで付き合うと決める。

 やはり理不尽で身勝手であるが。


「旦那、外套をグルグルに巻かれて苦しいです」

「寒さ避けと、骨や内臓をやられねぇ為だ。あと、吐きそうな時と厠の時は遠慮なく言えよ」

「目隠しされると目が回りそうです」

「まだ目隠しは額に上げとけ。

 都に入る時だけだ。

 ジェレマイアにもらった飴を舐めてろ。

 痛い時もちゃんと言えよ、ゆっくり行きたい所だが、逆に体に堪えるから強行軍だ。

 抱えている間、体が少しでもおかしいって思ったら言うんだぞ。

 包んでる布団ごと漏らされたらかなわねぇからな」

「..漏らしません」

「怒るなよ、冗談だ。漏らしてもいいから、水分はちゃんととれよ」

「漏らしません!」


 そうして強行軍の末、オーダロンの水晶門を潜ったのは、二日後の夜であった。

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