第710話 説話 ⑥
公爵は小さな笑みを口元に残すと、私を見て続けた。
いつもの少し怖い感じがする視線。
思わず、私は口元を引き結んだ。
「冷酷なオールドカレムは化け物を退治するのに、盟友のフォードウィンの一族を餌にしました。
戦えぬ女子供が多数をしめるフォードウィンをです。
水妖は男を殺しますが、女は捕らえ太らせた後に喰らうからです。
冷酷なオールドカレム。
私の祖先は、昔々、女子供を餌にしたのですよ。」
美しい面に皮肉げな笑みが口元から広がる。
鮮やかな瞳の輝きに、薄れえぬ虚無が見えた。
「何故なら、同じく盟友のラドヴェラムが奇襲をしかけ、フォードウィンが喰われる前に逃げる猶予を作る手はずだった。
愚かにも同じ東の者が裏切るとは考えもしなかった。
信じていたのです。
ところが挟み撃ちにする筈のラドヴェラムは、オールドカレムがフォードウィンを助ける前に、逃げ出してしまった。
あまりにも水妖の化け物が恐ろしすぎて、約束を破ってしまったのです。
憐れフォードウィンは食い尽くされる事となる。
けれどフォードウィンであるオールドカレムの妻本人も残っていた。
信頼の証と妻をも囮に置いていた。
その妻、彼女たちも又、逃げられぬ時の事も考えていました。
覚悟はしていたのでしょうね。
確実な事など、この世にはないと。
人は間違える生き物です。
人では耐えられぬ事も多くあります。
失敗もするでしょう。
裏切られずとも、うまくいかない時もある。
だから、オールドカレムが確実に化け物を封じる時間を作るため、逃げられぬのならと、毒を呷ってから喰われたのです。
愚かな選択だと私は思います。
生きる事、もがき苦しむ事を選べなかった。
夫を助けたかったのもあるでしょうが、信じきれなかったのもある。
一族全てが死ぬ必要はない。
例え、それで水妖を封じられなくともです。
この東の土地を諦めればよかったのですからね。
けれどこれも昔話。
その場にいないのならば、何とでも言える話です。
そうして悪食な水妖は毒餌を喰らい、力を弱めて動けなくなった。
オールドカレムは、そんなフォードウィン達の献身に答え、彼らごと化け物を封じた。
と、いうお話です。」
テトがそんな公爵の脛を前足で叩いた。
彼はテトに視線を落とすと首を振った。
「昔話を軽んじてはいけませんね」
彼は猫をちょいちょいと指でどけると、溶け崩れた骨と灰に近寄った。
「このお話を子供にする時、何を教訓として伝えるでしょうか。
シェルバン人の行いが卑怯で臆病だと子に伝えますか?
いいえ、そんな話では無いのです。
多くの民の上に立つ者が行いについての戒めです。
確かに、はじめに選ぶ答えとして逃走はよろしくない。
信頼信用は一度失えば取り返すことができない負債となります。
しかしラドヴェラムは、賢く懸命に立ち回ったとも言えるのです。
卑怯者と呼ばれようとも、己が氏族を優先したのです。
何しろ、水妖は滅ぼせない化け物でしたからね。
意見を具申する時間をのがしてはならない。
己の利を追求するにしても、選ぶ手段と時は熟考せよ。と、いう話です。
次にコルテス、オールドカレムの判断は、またラドヴェラムとは別種の独善でしょうか。
多くを従える者は強い意志と姿勢を誇示しなければなりません。しかし支配とは犠牲だけを強いても信頼は築けないでしょう。
このお話の中でオールドカレムは他の氏族の意見を聞きませんでした。
命じるばかりだったのです。
他者の立場を思いやりなさいというお話ですね。
己が主張だけを通した末に、裏切られたと喚いても遅い。
そして滅んでしまったフォードウィン。
献身を表す彼らは、愚かとなります。
我らが囮になりましょうと、願ったのでは無いのです。
氏族長の娘がオールドカレムに嫁いでいた為に従わねばならなかった。
仲間内の調和を選ぶだけでは、問題は解決しません。
ましてや氏族ごと滅ぶ選択を選ぶとは献身ではない。忠義とは必ずしも従順であれば良いという話ではありません。
愛ですべては解決せず、この水妖の騒動の後の、東の人間同士の溝の原因を作り出した。
美徳である愛と献身も、選択を誤れば死と諍いの元になるという教訓ですね。」
公爵はホホホと嗤う。
そして崩れ灰の山となろうとする骨を蹴り飛ばした。
「ただし、我ら大人への教えは、むしろそのままでいいでしょう。
我らは冷酷な支配者であり、愚を呈し卑怯な輩はシェルバンにある。
今でも十分、卑怯な塵共だ。
おや、すみません、姫。
あまりに不愉快でつい。」
「こいつが誰だかわかるか?」
言葉を遮るように、カーンが草むらから拾い上げたモノを見せた。
「オリヴィア、目を閉じてろ」
見たいシロモノでもないので、目を閉じる。
するとテトが戻ってきて、足首に巻き付くのを感じた。
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