第40話 亡者の手

「イヤな気配がしやがる」


 不意に、カーンが立ち止まった。

 振り返ると私を見た。


「何かいる、何か連れてきたな」


 不意に体が重くなり、地面に足が沈むような気がした。


「黙ってねぇで答えろ」


 体が重く、口もきけない。


(宮のもてなしぞ)


「くせぇなぁ、くせぇぞ。よく嗅いだ事のあるニオイだ」


(死人の嘆きか、浅ましいことよ)


 それからはっきりと、カーンに告げた。


「獣よ、娘に死人が縋り付いておる。如何なめしいとて、慈悲は見て取れるようだ」


「死人の娘?おいガラクタ、何いってんだ」


 カーンは首を捻っている。

 ぼんやりとした頭のすみで、私は苦笑した。

 気配に敏いのに、この男は大雑把だ。

 子供、ガキ、坊主。

 冷たい体の中で、ほんのりと小さな温みが残る。

 ガタガタと震えながら、男の顔を見つめ続けた。


「影を斬るのだ!」


 カーンの瞳が闇に光った。


 ナリスの言葉に、男の反応は素早く、そして何も躊躇いがなかった。

 予備動作無く、気負いも見せずに男は剣を抜き放つ。

 そこまでに瞬きの間もない。

 切っ先は既に敷石を抉り、心許ない灯りの影が断ち消える。

 その間、私はぼんやりと立ち尽くすばかりだ。

 男の虹彩は細くなり、口元から尖った歯が見えた。

 威嚇するような息を吐き、私を睨む。

 すると更に四肢が重くなり、それまで感じることのできなかった気配が読み取れる。


 手だ。


 私の体を、たくさんの手が掴んでいた。

 半透明の手が、四肢をぎゅっと握っている。

 これほど多くの人に掴まれていては、動けるはずもない。

 指の感触、背後の吐息、凍えるような冷たさ。

 驚きはあるのに、口を開くだけで何も言う事ができない。

 溺れた人のように、私はカーンを見上げた。

 助けを求める気力もなく、ただ、目の前の男を見上げる。


 カーンは剣を振り上げた。


 その刃の軌道をみれば、頭が飛ぶと思った。

 あぁ終わる。

 男の瞳を見つめながら、ぼやけた事を考えていた。

 だが、青白い光りは私を避けて行き過ぎる。

 そして数度青白い火花が散った。


 ふっ、と頭がはっきりする。


 それと同時に、歯ぎしりするほど力を込めているのがわかった。

 私は後ろへ、闇の中へと引きずり込まれないように、唸りながら体に力を込めていたのだ。


「気に入らねぇ、気に入らねぇなぁ、おい」


 男は唸り、不愉快そうに、私の背後を見ている。

 それから真っ黒な闇に向かって、剣を突き立てた。


 ナニカがブツリと千切れる音。


 私の背後でずぶずぶと剣がナニカに沈んでいく。

 蟀谷の横を、剣の刃が、カーンの腕がゆっくりと行き過ぎる。


「嫌だねぇ、生きの良い死人なんざ。燃やすぞ、オラ」


 女の悲鳴が木霊した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る