第267話 腐った魂 ②

 影は一言呟く。

 そしてあっけなく消えた。

 漂う香りも消え、嫡子の体から力も抜ける。


(無い、ね)


 破壊音が戻り、この奥の間にも振動が伝わる。

 その揺れに小卓を押さえながら現実に戻った。

 冷え冷えとした何かは消えている。


「私には意味がわからない。それに今のは、何です?」


 得た答え。

 私は、混乱、恐慌、そういった慣れない感覚が広がるのを感じた。

 外で暴れる化け物に対した時の恐れとは、まったく別の感覚。

 自分が自分ではどうしようもない感覚。

 宮での絶望でもない。


「我もわからぬ。無いとは、使われたのか?」


 勝手に笑い泣き、叫びそうになる。

 エリは、何処?


「どうしたのです、オリヴィア?」


 名を呼ばれ、どうにか私は答える。


「無いのでは、答えがもらえません。エリ、エリが」

「私達には、何もかもわからない。

 貴方が狼狽えても、理解できないのです。どういう状況なのですか?」


 たくさんの感情に埋まっていく。

 頭の中で言葉と考えがまとまらない。


「神の血肉は無い。

 天秤の皿にのる血肉は無い。

 殺された者、盗まれた物、反故にされた約束。

 嘘をついた。

 裏切った。

 保たれていた秤は傾いている。

 傾きをおさえる血肉は無い、無い」

「無いとどうなる?」

「遺体が朽ちなかったのは、この傾きを正す為。

 神の血肉は無い。

 多くの命をのせるしかない。

 婆様が言っていたとおりだ。

 エリも、エリが」

「あの化け物に喰われるということですか?」

「蠎が喰うよりも、傾きの相殺にもっと死ぬんです。このままだと皆、死んでしまう。」


 どうすればいい?


(簡単な事さ、罪を軽くする行いをする。本来、君がするべき事をする)


「エリ、エリを探さなきゃ」

「それは当然だが、それがどう繋がるのだ?」

「シュランゲの祭祀は殺された。

 覡が殺されれば、もう、神は許してくれない。

 腐った魂の女が、祭祀を受け継ぐ事は無い。

 あれは人ではない。

 ならば覡でありながら、正当なシュランゲの生き残りはエリだ。

 エリが死ぬ。

 むざむざ死なせるような事になれば、この土地は終わる。

 理を保つ為に、ここは」


(灰になるのさ。人間もね)


 私は卓の上に広げられた、羊皮紙を見た。


「儀式地は、子供を何処で捧げたのです?」

「具体的な場所はかかれていない。

 シュランゲにて、深い眠りのまま食わせたとある。」


 恐慌は焦りと共に腹に広がる。

 どうしたらいい?

 闇雲に探すには、シュランゲは距離がある。

 そこまで、運ばれたというのか?

 グリモアを使えば、できるか?


(正しく、君が問えればね。

 グリモアは正しく問い使わねば、君が失うんだ。

 君が失うんだよ。

 落ち着いて慎重に選ぶんだ。)


「場所の条件をあげてください。そうして絞り込みましょう」


 サーレルの言葉に、私は息を吐いた。

 場所。

 神の血肉、宿る神威。

 それを使う場所。

 呪具を使い、呪術を行える場所。

 腐れた魂が逃げ込んだ場所だ。

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