第777話 手紙 ⑪

 異端というのなら、私もでしょう。


「じゃぁ、お前は犯罪者か?

 違うだろう。

 自分は何も悪かねぇっていう足場を、自分から崩すのは馬鹿だって覚えておけよ。

 何が言いてぇかって言うとだな」


 ゴリゴリと頭を拭かれるままに、カーンは少し皮肉げに続けた。


「お前が気をつけるべきは、己自身でありもしない罪を認める事。

 それと異端審問官どもの強固な神聖主義だ。」


 どういう意味ですか?


「お前を異端と裁くよりも、お前を神の者と崇めて祀る可能性のほうが高いって意味だ。

 簡単に言えば、神聖さを示す人間を囲って拝みたがるだろう。」


 まさか。


「あながち冗談にもならねぇんだよ、これがな」


 神聖さ?

 グリモアに神聖はあるのか?

 頭を振ると、眼の前の頭髪を手櫛で整える。


「本神殿は腐土やトゥーラアモン、今度のマレイラ騒動で手一杯だ。

 今、ニルダヌスの話を持ち込んだとして、誰が真偽を測るのか。

 いつも暇をこいている審問官が出張る可能性が高い。

 なら軍部の方で身柄を抑えておいたほうがまだ生かしておけるだろう。

 ただ、南部に戻すのはよくねぇな。

 理屈抜きで最下層の監獄に収監されて終わっちまう」


 恩赦を願うのは間違いでしょうか?


「間違いじゃねぇし、そもそも言ってるだろう。

 どんな罪に問えるんだってな。」


 私は濡れた手ぬぐいを洗面台に置くと、温まってきた部屋に着替えを持って移動した。

 暖炉の前で、モゾモゾと着替える。


「終わったか?」


 いいですよ、こっちに来ても。


「で、助けろって言わねぇのか?」


 何が正解かわからないのです。

 罪に問うのはおかしい。

 でも、ニルダヌス自身は、裁かれる事を望んでいそうです。

 私が生きていて欲しいと望むのは、余計な事かもしれない。

 ですが過去の事とするには、あの告白は捨て置けません。


 寝室から出てくると、カーンは窓辺に立った。

 夜明けの空は群青色で、まだ薄暗い。


「過去ねぇ、問題は、殆どの者がその過去を忘れたがっているって事だ。臭いものに蓋って奴だな」


 旦那もですか?


 それにはいつもの笑顔が返る。


「死んで許すなら、とうの昔に始末している。

 許す許さないで片付かねぇ話だ。

 それに焦らずとも皆いずれは死ぬ定めだ。

 苦しんで最後まで生きるがいいさ」


 それから書き物机から、紙を数枚取り出した。


「真実、汚物が残っているなら掃除するのも吝かじゃねぇって俺は思ってる。

 でもな、過去は過去だとも分かってもいる。

 だからここで、お前がニルダヌスの助命を願うのは有りだが、それを後押しはしたくねぇ。

 お前の身を削るような事は絶対にするなよ。」


 私に紙を突きつけると、カーンは冷たい声で言った。


「願うのは自由だ。

 だが、よくよく考えろ。

 他人の生き死によりも、お前自信の事を。

 お前の身を大切に扱うんだ。

 誰も彼も救おうなんて、考えるんじゃねぇぞ。

 それこそ生き神様なんぞになりたかねぇだろ?」


 ***


 クリシィ様には、コルテス公爵の招待を受けたと書いた。

 衣類やその他の物や心遣いに対しての礼。

 神殿での日々、教授していただいた言葉、好意への感謝。

 再び会える事を願う別れの手紙だ。

 手紙は返却する荷物と一緒に纏める。

 少し寂しい。

 それからもう一通、手紙を認める。

 書き上げて直ぐに、カーンに手渡す。

 今日中に返事が欲しかった。


 落ち着かないな。


 私は朝食の時間まで、窓から外を眺めた。

 徐々に明けゆく海と空。

 食事は部屋でいいそうだ。

 出立まで外に出ないで済むらしい。

 空が光りを含んで白くなっていく。

 あぁ夜明けの色だ。

 カーンの瞳と同じ、少し緋色を含んだ色。

 恐れと期待孕む色。

 暫くして、カーンが戻る。

 その手には食事の入った籠だ。


「渡したぞ」


 ビミンへの手紙は、まだ書いていない。

 返答次第で内容が変わるからだ。


 テトが鳴き、食事の催促をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る