第589話 幽鬼

 それから私達も食事をとり休む事に、いや、待ち受ける事にした。

 夜に何かある、確証はない。

 だが、死体はあった。

 これだけで十分だった。

 正面の入口の扉を開け放ち、玄関広間で円を描いて座る。

 それぞれに休憩を取り、交代で見張りに立つ。

 死角を減らすように、すこし離れた位置に腰を据えた。


「墓守の部屋にいるか?護衛もつけるぞ」

「お邪魔でしょうが、一緒にいさせてください。部屋の中にいるのも、正直、嫌です」

「お前がそれでいいならいいさ。離れるなよ」

「何かあったら、その辺に隠れますよ」

「いんや、駄目だ。

 状況によっちゃぁ、護衛に抱えさせて外に出す。

 それ以外は俺から離れんじゃねぇぞ」

「邪魔になりますよ」

「はん、お前ぐらい邪魔な大きさじゃねぇさ」

「それは小さいと?」

「なんで怒るんだよ」

「少し寝ます」


 そうして一夜の宴を皆で待った。


 ***


 夜半、雨が止んだ。


 ふと、時が引き伸ばされる感覚をおぼえる。

 瞼をあげ、落ちる雫を見た。

 目の前で銀の糸を垂らして、雫は時を止めていた。


『始まったね』


 世界の呼吸が止まる。

 生き物の世界。

 物質界。

 潮の満ち引き。

 梢の雫。

 すべての時が動きを止める。

 傍らの男の呼吸。

 錆びた燭台の蝋燭の炎。

 消えかけの焚き火。

 木々の影。

 兵士の身じろぎ。


 私だけが、抜け落ちた。


 ゆっくりと瞬きをすると、視界いっぱいに青が奔る。


『これは素晴らしい』


 青い光りの糸。


 呪術陣のような曲線ではない。

 竪琴の弦のように真っ直ぐに、そして緻密な構造が視界いっぱいに奔る。

 描くは川の流れのような奔流だ。

 宿る力は呪術に似た別のなにかだ。

 これは何だ?

 私の目だけが忙しく光りを追う。

 わからない。

 あぁこれは何だ?


『知識の開示は主の特権だ。自由に読み取れば良い』


 これはお前の識る物なのか?

 不意に、その青白い光りが意味を持つ。



 幽鬼の王よ

 古代の王よ

 モーデンの血よ

 我の呼びかけに答えよ

 王よ

 そのと等しいにより、約束の地を守り給え

 己が業を鎮め、眠らせ給え



 死霊術か?

 だが、これは死霊術師の呪術陣ではない。

 奇妙な形、理の力に縛られていない。

 とても自由で、奇妙なほど無邪気な気配がする。

 そう、死を撒き散らすようにも見えず、何やらおかしい。


 開いたままの正面扉から覗く地面に、同じく青白い線が浮かび上がる。

 館全体に力が奔り始めた。

 時は、未だに止まっている。

 私だけが狭間に落ちていた。

 グリモアがこの力を見届けようと力を注いでいるようだった。

 言葉は王を呼んでいた。

 繰り返し幽鬼の王を呼んでいる。

 幽鬼の王を従える者。

 死霊術師の事か?

 だが、これは死霊術とは少し違う。

 この青白い光りは、もっと高位の熱をもっている。

 素晴らしい。

 と、私は感じ、


『素晴らしい、素晴らしい、なんと美しい力の配列。

 なんと素晴らしい、精霊語であるのか。』


 グリモアは喜びに震えている。

 フッと差し込まれる歓喜の言葉は、押し留めていた時を動かした。

 それと共に、ボルネフェルトの称賛は答えを教える。


『あぁ何と素晴らしい事だ。

 死して神の領域へと至る者がいたとは』


 蝋燭の炎はゆらめきを取り戻し、葉の雫はこぼれ落ちる。


『否、神そのものの手跡だ。

 人が為せる業前ではない』


 現世では叶わず、宮に身を落としたボルネフェルト。

 彼の死霊術師が望んでいた到達点。

 死をも従え、神格を得た者。

 死者を傅かせる者はこう呼ばれる。


が施した術だ』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る