第859話 モルソバーンにて 其の三 (結)
糸を追うと、その先は石材加工の工房へと続いていた。
緩やかな坂道が右に左にと蛇行して、高い場所へと続いている。
見上げる先には、材料となる鉱石が山と積まれていた。
その山を横に道を登る。
坂道の両側には、加工した石材を下ろす手押し車があった。
墨で描いたような視界に、手押し車が雨に濡れて光っている。
何の照り返しかと探してみれば、坂上の建物から小さな光りが溢れていた。
『人がいるのでしょうか?』
道はここが終点のようだ。
目前には閉じられた鉄格子の出入り口がある。
鍵はないので、通り抜けられるだろう。
不可視の糸は、その鉄格子を突き抜けている。
私達は一度立ち止まり、耳を澄ました。
打ち付ける雨音。
外殻はすぐ近くにあり、物見の塔もよく見えた。
と言っても、それは用をなしていない。
はじめは自警団の者を置いていたのだが、やはり朝には姿を消してしまう。
こうなれば、見張る意義も無い。
侵入者を警戒するにしても、人間の賊徒がいるとも思えない。
人間は消えるし、人間以外に物見は役立たないのだ。
右手には受付のような箱型の建物がある。
正面は見える限り石材の山。
左は工房の大きな建物だ。
灯りはその受付からである。
糸は、石材の山奥に消えていた。
私達は鉄格子の扉を横に引き開けた。
錆びて軋んだ音をたてて扉が開く。
そうして中に入り込むと、灯りのついた窓に近寄り、中を覗き込んだ。
誰もいない。
小さな蝋燭に炎が揺れている。
受付らしい机に、少し後ろに引かれた椅子。
飲みかけのお茶に、筆記具が帳面の上にあった。
今まで誰かが座っていただろう気配。
ザムが片膝をついて地面を指さした。
ぬかるんだ地面に足跡が残っている。
それが工房の方へと続いていた。
「一応、中に入り込むことを断っていくか?」
面倒そうなイグナシオの言葉に、カーンが暫し考え込んだ。
「何だか、妙な感じだ」
「何がです?」
「こう、背中がむずむずして、気持ちワリィ」
それにイグナシオが辺りを見回す。
ザムも暗闇に目を走らせた。
私は、泥に沈んだ足型を見ていた。
酔ったようにふらついている?
それが、工房の途中で消えていた。
雨に流された?
(オリヴィア、観念しろ)
突然のボルネフェルトの笑いを含んだ言葉に、私は顔を上げた。
(ここで終わりかな?)
終わり?
(はやくしないと、間に合わないよ)
何を、だ?
(割り切れ、そして己が愚かさを背負え。
でないと、死ぬ、よ。)
私も辺りを見回した。
警告だ。
最大級の警告だ。
(お前の男が言っただろう?
己が罪を背負う覚悟が大事だと)
何も見えない。
何だ、何がある?
(さぁ、君も僕と同じ道を行くのさ。
覚悟を決めるんだ、可哀想な供物の女)
何を?
(さぁ、その時がきた!)
笑い声と共に、私の視界が切り替わる。
視界いっぱいを埋め尽くす、異形の姿。
(見えない者も、彼等は傷つけられるんだ。
だって、魔導ってそういうものじゃない?
彼等は理に従わないからね。
見えないから、安全?
害虫にそんな約束は守れない。
だって美味しい新芽を食べるだけだもの。
食べられちゃうねぇ、君の大切な者は、生き残れるのかなぁ?)
「どうした、オリヴィア」
影響を受けたはずの、カーンが不思議そうに問う。
どうしよう、どう、どうすれば?
見えないんだ..
彼等には、見えない!
見えない、どうすれば..
異形は、ざわざわと蠢き始める。
私が気がつくと、異形も気がついた。
あぁ、相手もいつも見えているわけではないんだ。
だから、全部は喰われなかった。
時折、理の綻びができて..
(死んでも還れないってのは、ぞっとする死に方じゃないか?
僕はごめんだね。
せめて神の元へ、家族の元へ帰りたいじゃないか?
違うかい?)
私は...
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