第858話 モルソバーンにて 其の三 ⑨

 雨が降る街並みは静かだ。

 家々は鎧戸を閉じ、灯りの漏れる様子も無い。

 糸は暗い街中に、青白い線を闇に引く。


 家々の戸口や窓にある、あの紋様の意味がわかった。


 人が消えるようになり、闇から何かが襲い来る。

 そう考えた民が、昔ながらの魔除けを飾ったのだ。

 神の鉄槌、神罰を恐れて邪悪な物が近寄らぬようにと。


 マレイラの宗教は、宗教統一前は火焔教である。

 現在は神聖教亜流とされており、その骨格は同じとしている。

 違いは、偶像を崇拝し、神官位を僧侶、巫女のかわりに尼僧が神に仕えている。

 善悪論は神聖教とは逆であり、人は善也である。

 最大の違いは、このような大きな街であろうとも、神職がひとりであった事だ。

 神聖教が政治や軍事にまで関わるオルタスにおいて、彼等は隠遁を好んだ。

 現世救済よりも、精神世界への探求に勤しむ求道者、隠者という訳だ。

 ある意味、正しく神へと仕える者なのかもしれない。

 そして、この街の僧侶も、既に行方知れずであった。

 人々が縋る先は失われ、昔ながらのまじないを求めたのも当然であろう。


「オリヴィア、こいつらにも見えるようにできないか?」


 カーンは立ち止まると言った。

 静まり返った街角で、糸の先が三方に分かれている。


 無理だ。と、応えようとして


(できるよ)


 と、囁かれた。

 笑いを含む声音に、私は目を剥く。


(君はできるよ。

 嫌がっているのは、君自身だね。


 君はできる。


 まぁ君は女の子で、争うことを嫌っているし、わからない力は怖い。


 慎重で思慮深い。


 君は思うより勇気も行動力もあるけれど、常に怖いって思ってる。

 君は、誰かが傷ついたり、痛い思いをするのが嫌なんだよね。


 誰かが、痛いのが嫌だ。

 誰かが、血を流すことが嫌だ。

 誰かが、死んでしまうきっかけになりたくない。


 わかってるよ。


 わがままなんじゃない。

 君は、心配だし、不安だし、悲しい気持ちになりたくないんだ。


 君は泣きたくない。


 大好きな世界が壊れてしまうのが、悲しいからね。

 でも、君が力をふるわずにいたら、彼等は死なずにすむのかな?


 見えないから、安全だと思う?


 彼等の喉笛が掻き切られたら、おもしろいからいいかぁ)


 黙れ。


(君は恐れている。

 君の力の影響をね。


 当然だ。


 君はおが屑のつまった縫い包みじゃないからね。

 でもさ、支配下に置いた方が失わないかもしれないよ?

 知ってるだろう?


 君は僕だ。


 僕が何を言いたいか、知っているよね?


 君は優しい。


 けれど、それは最大の障害だ。

 君はわかっている。

 優しさは、利己的で傲慢でもあるのさ。


 どうせ、この世は腐り始めている。

 このまま腐っていくんだ。

 生き残れるのは、魔を従える我らが神の下僕だけなのさ)


 黙れ。


(君は勘違いしているよ。


 我らは敵ではない。


 そして我らは君の考える悪ではない。

 我らは魔導の者ではない。

 魔導師ならば、既に彼等の魂は粉々に打ち砕かれすり潰されているだろうさ。

 そして別の生き物になる。

 人型の、この世に無いモノになるのさ。

 だが、僕たちは違う。


 知っているだろう?


 僕たちは、持ち物を増やしてあげるのさ!

 素晴らしい感化の力によってね。

 君だって仲間が欲しいだろう?)


 嘘つきは黙れ!


(ふふっ、まぁそのとおりさ。

 半分は嘘だ。

 けどね、手遅れにならない事を、君の為に祈っているよ)


 私は傍らの男に言った。


『左の糸がアーべラインの魂に繋がっている。

 他は違う。

 別行動は駄目だと思う。』

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