第513話 遡上 ④
「何がいた?」
それぞれに得物を抜いての問いに、ザムが答えた。
「山猫です。それも大型、模様から見て幼体ですね。
親がいたら厄介だ。
彼奴らは鼻がいい。」
「山猫?この辺りは生息地じゃないぞ」
ユベルの否定にザムも頷いた。
「そう思うが、俺の振り抜きを避けるような生き物も早々いない。」
「そりゃどうも。まぁ確かに何かいたとしても、避けられねぇよな、普通は」
そんな会話をよそに、私は両脇に手を通された。
子供の様に、持ち上げられる。
眼の前には、怒った男の顔。
「止めてくださいよ、旦那」
「何で最初に言わない。あぶねぇだろうが」
「最初は何だかわからなかったんです」
「気配がしたから、飛び上がったんだろう」
私は仕方無しに、足をぶらぶらさせた間抜けな姿のまま、相手の耳を引き寄せた。
「妙な声が聞こえたんです」
ぶらぶらの代わりに、カーンは私を抱え直した。
「最初、子供の声でした。
挨拶に来たというので、驚いた訳です」
「何と言っていた?」
私は先程の幻聴のような言葉を繰り返した。
「それを山猫が?」
「わかりません。山猫が喋ったとは考えたくないです。けど」
「そもそも山猫がいるというのが解せん」
「でも、山猫って湿地帯も生息地域なんでは?」
「よく知ってるな。
だが、この東公領は、その大型肉食動物が死滅しているんだ。」
「それは、穏やかじゃないですね。」
そんな内緒話の間も、ミアの指示で周囲の探索が行われている。
二人一組、三組を作り探索に向かう。
残りは警戒にあたり、食事と休憩を手早く終わらせ、先の探索が戻ったら交代だ。
「どうだ?」
最初に戻った者達に、ミアが問う。
それに成果がなかったのか、彼らは首を振る。
大型肉食動物の痕跡は無い。
そもそも山猫ともなると、木の上も移動できるのだ。
火の始末をし、再び遡上を始める。
本来は静かにすべきだろう。
が、これは貴人の警護の演習である。
喋り続ける事を逆に求められた。
当然だが、話題と言ったら先程の事になってしまう。
「生水を大量に飲むな。
と、北の人間のお前には注意した。
ここの水には風土病の元になる寄生虫がいるからだ。
だが、それ以外にも問題がある。
人間には耐えられても、動物では耐えられない物質が含まれているんだ。
この東は、特に水質環境の汚染が深刻だ。」
「美しい自然、水も豊かに見えますが」
「北には恐ろしい冬がある。
だが、お前の故郷は、水も土も何もかも清浄といえる。
実はこの世界で一番、綺麗な場所じゃないかって思うぞ」
「そうなんですか?」
「土、水、降る雨、雪、草木、動物、何一つ、そのまま人間が触れても死なない。
空気を吸って肺が腐る事もないだろう?
西の砂漠は金属を含んだ砂嵐を浴びると、あらゆる物が腐食する。
人間の肺だって腐る。
南の奥地だってそうだ。
大型の嵐が来るが、毒の風で眼がやられる。
水だって、生で口にしたら北の人間は内臓が腐るぞ。」
「まさか、ここもそうだと?」
「元々、この東マレイラは鉱山開発で生きてきた。
他の地との違いは、人の手で汚染が広がった事だろう」
見えるは美しい緑と水、新鮮な大気に降る朝陽があるだけだ。
「確かに今は一応の解決を見た。
余所者の北部人が水を飲んでも頓死はしない。
昔の話だな。
昔々、この東マレイラは鉱山開発から始まった。
過去、その開発によって深刻な鉱毒被害が広がる。
そしてその無知蒙昧な行いにより、豊かな水源地は毒にまみれ、広大な東全体が死に瀕した。
その時、大型の肉食動物は死滅したのだ。
勿論、人間も家禽もだがな。」
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