第822話 挿話 陽がのぼるまで(下)④

 教会に着くと、商会の人達が建物をあらためていた。

 男は、さっさと彼らに合流する。

 取り残された私は、何処にいればと迷う。

 すると丁度その時、台所から巫女様が顔を出した。


「よかった!ビミン、いらっしゃい、顔を見せて」


 と、いう巫女様の方が顔色が悪かった。

 私はそちらに走り寄った。

 あぁ巫女様は無事だ。


「食事を作っているのよ。

 商会の船員さん達と私達なら、ここの食材を食べても大丈夫でしょうからね。

 手伝えるかしら?」

「大丈夫です、巫女様こそお休みになられませんか?お顔色が」

「少し眠れなかっただけよ。

 老骨とは言え、寝不足ぐらいではビクともしませんよ。

 貴女こそ、大丈夫?」


 やる事があるだけ、ホッとした。


「働いていたいです」


 いつもどおりの会話に、私は気持ちが浮き上がり落ちるような感覚を覚えた。

 いろんな感情が押し寄せてくる。

 それは台所に入るとより重く大きく心を抉る。


 母さんの作っていた保存食の瓶。

 お祖父ちゃんの好きな、すもも

 目に入るすべてに、私の大切な家族の気配が残っていた。

 でも、泣いたらだめ。

 まだ、私。


「何か飲んで一息つく?そこの椅子で休んでも良いのよ」


 忙しく立ち働く巫女様は、動揺する私に椅子をすすめた。

 私は頭を振ると、手を洗う。

 そう目の前の事をきちんと片付けていくの。

 ひとつひとつよ。

 器用な人間じゃないんだから、目の前の事を丁寧に扱うの。

 そうして暫く、大量の食材を調理する事に専念した。

 教会の敷地内で立ち働く人達に、食事を振る舞うのだ。


「ひとつ提案があるの」


 煮込んだ野菜と肉の汁に、削った乾酪を振り入れながら、巫女様が何気なく言う。


「私の付き人、世話係にならないかしら?」


 焼き上がった物とは別に、小麦を練って薄焼きにする準備をしていた私は、暫し、何を言われたのかわからなかった。

 それは単に神殿へと身を一時的に寄せる提案ではない。


 神殿の人間にならないか?という提案だ。


 神威を下ろせる神使えの世話をする者は、見習い以外にもいる。

 神性を保たないが、十分に神殿の仕事を勤められると認められた人達。

 神殿育ちの者や神官や巫女の縁の者がなる、雑役をする者の事だ。

 誰も彼もがなれる訳ではない。

 いずれも神官や巫女が推薦し、その職能によって立場もきちんと整えられる。

 ただし、世間との関わりは極端に無くなる。

 その点は、過去を名を捨てよ、という提案に似ていた。

 しかし、これは父母を捨てよという意味ではない。

 人の国から神の国へと移らないか?という意味だ。

 神殿の枠組みの中に一度入れば、そこでは生まれの意味が失われるからだ。


「どう?」


 呆然とする私に、巫女様が味見の小皿を差し出してくる。

 無意識に口にした汁は、少し薄い。


「塩が足りません」

「あらあら」


 巫女様は、塩を探して戸棚をかき回す。


「それは、あの、黒い御領主様注・不敬を回避する為の渾名からの依頼でしょうか?」


「そうね、それが話の元ね。

 けど、まぁそれだけで、こんな提案はしませんよ。

 私の方にも利があるのよ。」


「ありがたいお話ですが」


「やはり嫌かしら?」


 嫌ではない。

 ただ、どうして提案されるかわからない。

 私の身柄を預かるとしても、神殿方にする必要はないのだ。

 私を預かる不利益は多々あるだろう。

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