第821話 挿話 陽がのぼるまで(下)③
言い切った男は、顔を背けて続けた。
「誰かが責任をとらねばならなかった。
無責任な者の尻拭いとしては、代償が大きすぎた。
お前が考えるよりも、多くの人間が傷つき人生を変えた。
我々も苦汁をなめた。
我々が人を殺すのは生業だからと平気に見えるか?
家族を死なせてもまともに過ごしているように見えるか?
お前を責める言葉でさえ、結局は己を罰する言葉に等しい。」
そして私を振り見ると、皮肉げに口元を歪めた。
酷く、暗い表情だ。
「..そうだ。
恨み辛みを背負うのは、何もお前やお前の祖父ばかりではない。
大元をたどれば、お前の父親の行いを許し見逃した当時の人間すべてが罪人なのだ。
そして後始末をした我らも、同じく恨まれ憎まれるに相応しい。
お前がいう通り、お前自身に罪は無い。
かけられる恨み言は聞き流すがいい、それは言った当人の事なのだ。
..俺の繰り言もだ。」
そう言い置いて、するりと表情を消す。
残るのは、いつもの冷たく拒絶する気配だ。
「本当の事は、自分も知りたい。
己が愚かさと向き合うには骨が折れるがな。
まぁお前のような小娘ができるのだ、軟弱な事を言えはせん..泣くなよ」
「泣いてないわ」
「怖がるな、とは無理のようだな。
まぁ詮無いことか。
俺のような男に殴られでもしたか?」
「いいえ、恫喝されただけよ。殴られたのは、もっと小さな頃ですもの。ただ」
私の言いたいことがわかったのか相手は顎を引くと難しい表情をした。
「婦女子が身の危険を感じるような事にならぬように、手配を考えよう。
何だ、何かおかしいか?
言ったろう、監視とは見守りも含むのだ。
何も打ち据える為に人を置くわけではない。
わからぬか?
..本当の事が知りたいと思うのは、お前だけではない。
バーレイの語る事柄が、真実の一端を担うと言うなら、我らも真摯に答えるのは当たり前だ。
それが恭順に対する報酬だ。
その報酬には、孫の安全も含まれる。
それが担保でもある。
無論、お前の祖父を許しはしないがな。」
それから暫く、無言で歩く。
男の言葉の意味を考える。
それはここ数年聞く事のなかった、光明に思えた。
「..お前を罵れば罵るほど、己が嫌になる。
男の屑という気分になる。
まぁそもそも若い娘が泣くだけで、こちらは負け戦よ。
傍から見れば、こちらは人非人の屑野郎に成り下がる。」
「そんなつもり、ないのに」
「ともかく、俺以外の奴らに食って掛かるのは止せ。
殴られるだけではすまぬような事になる。
恨むなら、我らだけを恨め。
憎まれるのは慣れている。
それに我らは憎まれて当然だ。」
その背中を見ながら、私は頭を振った。
それが見えない事に気がついて言葉にする。
「違うわ。
何処にいっても、誰に聞いても、貴方達を恨む人なんていないわ。
黒い御領主を悪く言う人なんていない。」
「焼き払い救わずに殺したと言うのにか」
「憎むのは、憎まなければ生きていけない弱い人だけ。
それだって、私のような卑怯な奴だけよ。」
「卑怯ではない。単に己を守ろうとしただけだ。」
「慰めなくてもいいわ。
泣かないもの。
私だって本当は感謝してる。
貴方達がいなかったら、あのまま病気が広がり続けたら。
この世から、人がすべていなくなってたって、わかってるもの」
思っていた事を小声で付け加える。
病気が更に広がっていたら、私達は結局死んでいた。
病気にならなくても、逃げ出した先で私刑になっていただろう。
すると男が歩みを止めた。
「今、何と?」
「何?」
「何と言った」
「感謝してるってことよ。何よ、私がありがとうって思っちゃ駄目なの?」
「違う、その後だ」
大きな声が降る。
すくむ私に気がついて、男は声を落とした。
「その後の言葉だ」
「だから、病気が広がって..この世から人が」
人がすべていなくなる?
男は、ゆっくりと瞼を閉じ、暫く動かなかった。
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