第820話 挿話 陽がのぼるまで(下)②

 人のざわめきを、城を行き来する人の気配を聞きながら、私は窓を見る。

 たくさんの人。

 皆、それぞれ目的があって、忙しく生きている。


 私だけ、行き暮れていた。

 山道で夜になったみたいに。

 迷子だ。


 そう考えたら、勝手に私は笑っていた。

 ひとつもおかしくないのに。

 でも目が痛くなるから、泣きたくない。

 俯いて嗚咽を噛み殺す。

 足元の床が霞んで滲む。

 その視界に、靴が入り込んだ。

 大きな軍靴から視線を上にあげる。


 冷え冷えとした黒い瞳が見下ろしていた。


「お前は下の教会に戻る事となった」

「お祖父ちゃんは?」

「処分は今だに決まっていない。

 下に降りる準備をしろ」


 準備は無い。

 自分の服は焼却されたし、逃げてきたので荷物もない。

 オリヴィアに声をかけたいけれど、それも無理そうだ。

 入れ墨のある頬を見上げて、私はため息をつく。


 ひとりぼっち。


 ***


 城塞の街は洗浄する為に、兵士が行き来していた。

 家屋ひとつひとつを改めて、不審な物を探す。

 人は既に城塞で処置を受けている。

 思ったよりも体内に異物があるそうだ。

 嫌な話だ。

 どこから体に入ったのだろう。

 食物は検査されてから渡される。

 虫下しも定期的に配給され、月に一度の間隔で血液を調べる。

 そして重要な事。

 もし罹患する者が現れた場合は、すべて焼却する。

 今現在のアッシュガルトの住民は、街の近く、比較的無事だった海岸沿いに集められていた。

 住民でも発症する者としない者がいる。

 そこで原因を調べるために、アッシュガルトは囲われた。

 被検体とするらしい。

 私を引き連れる男の説明だ。

 アッシュガルトの街全体を異常を調べる場とした。

 おかしくなった者は、そのままどうなるか様子を観察しているそうだ。

 しかし、城塞内に発症者が出た場合は、速やかに焼却するという。

 城塞の人間をだ。

 もちろん、経過観察の後に、感染、発症しない事が証明されれば城塞からの移転を許すそうだ。

 ただ、この城塞に居を構える者の多くは、財産も家族もすべて一緒だ。

 今更他所に移るのは、中々、決断できないだろう。


 不安、恐れ、心を塞ぐ雰囲気。


 でも、あの頃よりもまし。

 城塞にいる限り、治療し手を尽くしてくれている。

 兵隊もいる。

 正気の兵隊がだ。


 教会まで、男の後ろを歩く。

 男は、私のこれからを説明している。

 教会で暮らす事。

 巫女様が私の身柄を預かること。

 なんら今までとかわりない事。

 神殿には迷惑な話だ。


「残念ながら、ここの城塞の者は信用がならん。

 お前は神殿の者、中央の者である商会員の言葉に従うように。

 意味はわかるか?」

「黒い御領主の兵隊に従えばいいって事よね。

 あの、東の人達には近寄らないようにすれば、いいんでしょ」

「そうだ。

 誤解があるようだが、お前の父親がいたのは旧派閥で、東という呼び名は使わぬ方が良い。」


 馬車道の側にある車体交換の場所で立ち止まると、男は辺りを見回した。

 ぽつぽつと雨が降るだけで、人影はない。


「商会の者には口止めしたが、母親と航海士の話は黙っていろ」

「どういう事?」

「誤解されるだろうからだ。

 お前の母親の最後は、感染者に似ている。

 航海士がどうなったかはわからぬが、やはり似ている。」

「似てるって、違うの?」

「不確かな話が広がるのは害悪だ。

 それに巫女頭にも伝えたが、航海士や船員達の証言は伏せる事になった。

 お前の祖父の証言ともあわせて、そうした情報は伏せる」

「どうして?」

「どうしてとは、お前も言っただろう。

 過去と似ていると。

 それを確かめ調べ、真実を探す。

 探して欲しいと願った相手は誰だ?

 お前の祖父が恭順の意思を示したのは誰だ?

 真実を阻もうとするのは誰だ?

 バルドルバ卿にお前の祖父は願い、お前達家族を始末してしまおうとしているのは誰かを考えればわかるだろう。

 今の城塞にいる第八師団を名乗る屑共に、何を聞かれても知らぬととぼけろ。

 お前はお前の敵をよく覚えておけ」


 頷く私に、男は更に声を落として付け加えた。


「我々こそが、真実を求めているのだ」

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