第691話 帰路にて ③

 噛んじゃ駄目だよ。


 すると観念したのか、にゃぁにゃぁと鳴いて耳を伏せた。


 よし、わかったみたいです!


『もしかして、連れ帰る気か?』


 どうしましょうか?

 と、私がカーンに言うと、先に猫が答えた。


(ずっといっしょだもん。

 ボク、イイ子だもん。

 トモダチはいつも、いっしょじゃなきゃ。

 それに食べるのは、ワルいやつだよ。

 ワルモノは食べちゃうぞ。

 ソイツ、ダメ?

 なかよし?

 ふぅ〜なんか、キライ、そいつ。

 たべ、たべちゃだめ?

 ごめんち。

 うん、わか、うん、ごめんち。

 なでる?へへへっ。

 うん、いまは、いいや、ソイツ。

 やっぱりオスは、おいしくないしぃ〜クサイしぃ〜)


 カーンの目が見開かれる。

 聞こえたようだ。


『オリヴィア!』


 大声に、猫と一緒に縮みあがる。

 飛び上がった私を見て、彼は続けて怒鳴ろうとした言葉を飲み込んだ。

 それから噛まれていない方の手で、自分の顔を押さえ。


『..嘘だろ』


 盛大に呻いて、背を丸めた。

 周りは何が何だかわからないで、そんな彼の呻きを珍しそうに眺めた。


『あぁそうだよな。

 猫じゃねぇよな。

 そうだった、そうだよな。

 お前が拾ってくるんだ、猫なんて可愛らしい代物じゃねぇよな。

 あぁ悪かった。

 でかい声で怒鳴るなんてよ。

 すまねぇ、こんな事で。

 器のちいせぇ男ですまねぇ。

 らしくねぇ、疲れてんのかな、俺』


 どうやら大鎌を担いだ死霊よりも、喋る動物の方が衝撃だったようだ。


 噛み傷は、よく洗わないと、ですよ旦那。


 ぶつぶつ言いながらも、カーンは水で傷を洗った。

 そのなんとも言い難い姿に、公爵は普通に笑った。

 今まで浮かべていた笑いとは違い、穏やかな顔つき、少し憑き物が落ちた表情だった。


 薬、塗らないと。


『大丈夫だ。大概の噛み傷なら感染も化膿もしない。それより、危険は無いのか?』


 どうやら中央の兵士には、動物の噛み傷に対しても予防処置が行われているらしい。


『大丈夫ですよ。

 テトは猫の原種です。

 肉食ですが、女性には危害を絶対に加えない』


 代わりに公爵が答えた。


『貴殿の飼い猫か?』


 公爵は笑うだけだ。

 私が代わりに答えた。


 嘗て、姫様が同じ種の猫を飼っていらしたようです。


 じろりと睨むカーンに、猫が威嚇音を出して答える。

 こら!

 シャーと威嚇してから、私を見上げ、ちょっと口を閉じる。

 うん、ダメだよ。


『犬歯は普通の猫より長く、爪も鋭い。

 雄、すべての種の男を嫌う。

 気に入った人間の女性に付き従う。

 そして人間の幼年以上の男は噛みます。

 そういう習性?というか、つくられた生き物ですよ』


『何だ、そのふざけた習性は』


『王都にて公王親族の為に交配させた猫なんですよ』


 嫌そうに顔を顰めるカーンに、公爵は笑う。


『その仔は雄で、まだ、気性が穏やかなんですよ』


『これでか?』


 威嚇して牙を剥く姿は、どうみても愛玩動物ではない。


『雌は更に凶暴です。

 必ず喉笛を狙って殺しに来るし、個体は雌の方が大きい。

 子持ちの雌に出会ったら命は無いです』


『それは猫じゃねぇよ、山猫だろ』


『大型の山猫とは別種ですよ。

 家猫の原種です。

 肉食の大型山猫のような顎の骨の進化はしていない。

 あくまでもそのあたりを闊歩している家猫の仲間です。そうだろう?』


 猫に同意を求めるように公爵が聞く。

 それに猫は威嚇を止めて、気取った顔をして鳴いた。


(ふん!まぬけ〜まぬけ〜)


 と、多分言った。

 伝わらんでもいいのに、何故か猫語は直通で伝わった。


『このクソ猫がっ!』


 苛ついたカーンに首根っこを掴まれる猫。

 暴れる猫に噛まれるカーン。

 再びの悶着が繰り返され、今に至る。


 こうしてミアの膝の上に一人と一匹は片付けられた訳だ。

 因みに、テトはこの猫の品種名で個体名ではない。

 姫様も案外おおらかな方だったのかも知れない。

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