第771話 手紙 ⑤
持ち物を鞄に詰め、脱いだ衣服を洗い干す。
部屋の中が、一気に生活感で溢れる。
返す物以外の手荷物は、一回分の着替えと飴の袋と薬、水筒、装具、短刀、笛。
笛を見て、自然と微笑む。
オービスは、エリと同じく合図の笛をくれた。
喋れないかわりの、合図の笛だ。
小さな笛は、首から下げられるようにと鎖が通してある。
その親切と心遣いに、気持ちが落ち着く。
この笛は、警邏用の物らしい。
音色を変化させる穴がある。
後で、合図の音色を色々教えてくれるそうだ。
手荷物は少ない。
着替え以外は身につけられる。
ただ、それでも小さな鞄が必要だ。
暖炉に薪をくべて座る。
敷物には、すでにテトが伸びている。
猫になりたい。
と、その姿をみるとつい思う。
足台に腰掛けて、髪を乾かしながら、遠くなった記憶を手繰る。
村の生活。
季節の流れ、広大な景色。
爺たち。
村の皆。
領主館の人々。
自分でも、あの森の際での暮らしが懐かしい。
生きるのに厳しい暮らしが懐かしい。
森の中で私を満たしていたのは、万能感だった。
子供らしい希望の世界だった。
可能性、期待。
いつか、外に行くんだ。
いつか、家族を探すんだ。
いつか。
幸せは既に掴んでいたのに、私は物知らずの子供だった。
今、手にしている万能感は、支配と恐怖、死を孕む。
そして飛び出した世界は、闇に満ちていた。
それでも微かな灯りと人々の変わらぬ優しさもある。
小暗い道を進むのは、あくまでも私自身が選んだ事だ。
鬱々と無駄に考えていると、カーンが戻る。
珍しく疲れた顔をしていた。
「楽しい旅になりそうだぞ」
私と目があい、少し笑う。
口火から不穏であるが、まぁそうだろう。
足台の前、椅子に腰掛けるとカーンは伸びをした。
テトが嫌そうに、カーンから反対側に移動する。
対する男は、それにわざわざ威嚇するように牙を見せた。
テトも挨拶代わりに牙を見せる。
何をやっているんだか。
楽しい旅ですか、旦那。
「あぁ楽しいぃぜぇ、サーレルの使ってる奴らから報告が来た。
元老院ってわかるか?
俺の配下と違ってな、戦闘よりも情報を集めるのが仕事の奴らだ。
人族や亜人、混血の人間が多い。
コルテスに、そいつ等を先に向かわせてるんだ。」
わかります、いろんな勢力、政治集団の集合組織ですよね。
サーレルの旦那の手勢は、その集団の所属の人達って事ですね。
「正確には、南領南部貴族派の勢力だな。
人員が獣人寄りになりそうだが、南にも獣人以外の種族は普通に暮らしているんだ。
混血も多いし、短命人族種の集団もある。
話がそれちまうなぁ。
で、そのサーレルの手勢に、コルテス領地への先乗りをさせている。
そいつらの報告がな、まぁひでぇ。
どんだけ、ここの馬鹿どもが手抜きしてんだよってなぁ話でよ」
お疲れ様です。
「あぁお前みたいな部外者でも、労ってくれるのによぅ。
それでだ。
他人事なら嗤えるが、これから向かう場所は予想以上の荒れ具合だ。」
そんなにですか?
「公爵の氏族は大まかに十六。
この中で宰相の役割を担う者と国務、軍務を担う者がいる。
鉱山の権利も彼らが義務と労役を分担している為、公爵不在でもなんとか保つ事ができていた。
だが、この十六氏族の長が、殆ど死んでいる。
代替わりができず、今は空席のまま次席の者が支えている状態だが、これでは新しいことは何もできない」
代替わりできない?
「公爵の生死不明では、何も決められないんだよ。
代替わりしたくとも、公爵の死が認められないと、先に進むことができない。
王国法の問題もあるし、ともかく死体か確実に死んだ証拠が出ないとな。
だから略略、その十六の氏族は己が支配地から出ていない。
コルテスの氏族が断絶しちまっている訳だ。
守りに入って出てこねぇってのは仕方ねぇが音頭をとる者がいないってのが最悪だ。
領地危機に団結できない状態なんだよ。」
どうしてです、仮にでも指導者を選びたてられないのでしょうか?
「継承者も所在不明なんだよ。
そんな状態で名乗り出たら、憶測や嫌疑をかけられかねない。
コルテス内じゃなく、王国からの嫌疑だ。
コルテスそのものに連座で罰が与えられかねない。
と、考えているんだろうなぁ。
公爵と継承順位の高いに人間が所在不明、動くに動けねぇ。
領地内で不穏な事が続いてもだ。
氏族長達も不審死だ。
未だにコルテスとして残っているのは、引き籠もって自衛をしているからって側面もある。例えコルテス全土が傾きかけていてもだ。」
継承者、確か公爵の御息女様でしたか?
「死亡報告はない。所在は確認させている」
予想道理とはいえ、嫌な話だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます