第43話 境界 ②

(見える事だけが真実ではない)


 ナリスの言葉の意味がわからない。

 それでも一度、立ち止まる。

 私は眼下の無言劇をみやった。

 身なりの良い長い髪の男だ。

 その男は、並んでいた甲冑の男へ手を置いた。

 気安く肩を叩く仕草。

 すると、空気が抜けたように、甲冑の男が崩れ落ちる。

 二手に分かれていた集団が動きを止めた。

 この異変は双方には予想外だったのか?

 次に長髪の男の長衣が揺れ、突風が広場を吹き抜けた。

 ごうっと吹き抜け、私のところまで吹き上がる。

 酷い血の匂いに、思わず息を止めた。

 酷い、においだ。

 腐った獲物の腸、腐敗した死骸のにおいか。

 あまりの汚臭にえづく。

 その突風に気をそらされているうちに、事はどんどん動いていく。

 長髪の男は、その痩躯そうくから考えられないほどの膂力りょりょくで、昏倒した甲冑の男を掴んだ。

 掴み、片手で引き上げ台座へ置いた。


(贄だ)


 今までの暮らしで必要のない、聞きたくもない言葉を聞く。

 それが意味を持つと同時に、混乱していく自分がわかった。


 贄、生贄?

 旦那、旦那はどこだ?


 私はカーンの背中を探した。

 半分崩れかかった壁を、一気に滑り降りたようである。

 下にいた者も気がついた。

 カーンは、中央の男と二派の中間に降り立った。

 何かを言っている。何を言っている?


 聞こえない。


 風が、血生臭い風が、囂々ごうごうと吹き上げてくるからだ。

 どうして、この突風の中、立っていられるんだ?

 見れば眼下の一人として、この風に煽られてはいない。


「風が、吹いていない?」


まじないだからだ。あれらには、見えも聞こえもせぬだろう)


「どう、して」


(もう、終わる)


 何が?と、私が聞く前に、長い髪の男が、側に来ていた集団を手招きした。

 すると、兵士が膝をついた。

 一人、二人と次々に。

 バタバタと床に倒れ伏していく。

 もう一方、爺たちの方の兵士は武器を抜く。

 だが、それも次々と長い髪の男に近い方から、倒れていった。

 そして端に逃げていた爺たちと領主も、膝をつく。


 嫌だ。


 たまらず、私は向かい風に突き進む。

 生臭い風は妙に温かい。

 まるで湯の中を進むように、重くまとわりついてくる。

 カーンは剣を握ると、元凶の男に歩み寄っていくのが見えた。

 それに、長い髪の男は、片手をあげて制止をするような仕草をした。

 何かを喋っている。

 歯痒い、何も聞こえない。

 風が私を包んでいる。

 潮位の男は、台座に転がる男を指さした。

 それにカーンは、頭を振って、武器を向ける。


 交渉は決裂。


 やっと崩れた壁を滑り、もう少しで広場に。

 爺たちは、動かない。

 早く、はやく。

 脆い足場に私がもたついていると、声が聞こえた。

 下の広場で、鷹の爺が私を見ていた。

 爺は怠そうに片手を上げ、払う仕草をする。


 逃げろ、オリヴィア、逃げろ


 爺は、確かに、そう言った。

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