第99話 幕間 精霊の娘

 娘は目覚めない。

 血の匂いもしない。

 出血していれば、匂いでわかる。

 息はある。

 殺された後だ、それで良しとする。

 などと馬鹿な言い回しが浮かび、カーンは口元を引きつらせた。

 斬りつけた箇所、服の隠しから砕けた智者の鏡が見える。

 それを取り出し、破片を集めた。

 服にも斬られた跡はない。

 破片さえなければ、斬りつけ殺したのは幻だったと言わんばかりだ。

 幻だったとしても、殺したのは事実だ。

 と、カーンは唇を曲げた。

 そして破片となった智者の鏡を集めると自分の懐へしまう。

 これを寄越した男は、何というだろうか。

 ボルネフェルトの始末を受け持つ事になって、まず最初にこれを寄越したのだ。

 寄越したのは本神殿の祭司長だ。

 支配階級の始末に向かう時の慣例で、出発と帰還時にお伺いをたてる。

 いつもなら、誰が始末されるかによっての根回しの要請だが、今回は最初から違っていた。

 あの男が遺物をもたせる理由を何故考えようとしなかった?

 本当なら、もっと慎重になるべきだった。

 依頼者の多さと、目的の人物の印象が乖離していたのもある。

 温厚篤実、功績もある中央貴族と大公に連なる者の乱行?

 被害者の数、被害額の数字。

 一貴族と名はあれど実の無い継承順位五番目の王子殿下。

 それが何をどう転べば、大量の死人と戦地での損耗になる?

 そこでなぜ、考える事を最初からおこたった?

 疑問への答えは簡単だ。

 あなどっていたからだ。

 と、しかめっ面の男は、結論する。

 自分は増長し、仲間は仕事に飽いていた。

 そして始末する相手を傲った。

 与えられた資料の裏取りが不十分だった。

 つまり馬鹿な自分は、ここで骨になるはずだった。

 撤退が妥当。

 自分は敗者であり、ボルネフェルトは消えた。

 見逃されたのは自分だ。

 娘が助命を願ったから。

 彼女を外へ連れて行かねば。

 そう考えを整理すると、とても静かな事に気がつく。

 己の息、娘の小さな息遣い以外、何の物音も気配もしなかった。

 娘の足元に荷物が置かれていた。

 彼女の背嚢はいのうだ。

 それには細縄が束ねられている。

 背嚢は意識の無い娘に背負わせ、そのまま彼女を担いだ。

 そして細縄で自分へと縛り付ける。

 そうしてカーンは出口を探すべく歩き出す。

 公爵達が入り込んだという通路は、火薬を使ったのか建物が崩落して瓦礫に潰されていた。

 中々に手際の良い仕事ぶりだ。

 そして自分たちが入り込んだ道は、行き止まりだ。

 行っても無駄だ。

 肩に乗る娘の顔を見る。

 娘が目覚めねば、再び、出口を目指して彷徨うことになる。

 そして、自分が外に出たら、この娘はここに囚われるかもしれない。

 なら、どうする?

 娘を先に出して、それから自分が押し通れば良い。

 帰れなくたっていいさ。

 と、カーンはフンっと鼻息を吐いた。

 帰れないなら、公爵や化け物どもに会いに地獄へ行くだけだ。

 くだらない男の塵のような人生だ。

 始末は自分でつけねばならぬ。

 己のことは、それで良しとする。

 ただ、気がかりは、娘の額にある入れ墨の事だ。


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