第320話 困惑に混じるもの

 カーンはそれ以上何も言わず、私を運んだ。

 炉には炎が踊り、湯気をたてる大鍋が並ぶ。

 調理をする者達が忙しく立ち働き、食材が山となっていた。

 簡易な雨避けの天幕が、市場のように建つ。

 それは煮炊きの炉を囲み野天の食事処といった風だ。

 そこに兵士や神官、街の者も炊き出しに並び受け取ると適当に座っては食事をとっていた。

 食料は兵站だけでなく、街の備蓄も放出されていそうだ。

 暖かい場所を選んで腰掛ける。

 もちろん荷物の私ではなく、カーンがだ。

 皆、それぞれに配られる食事の列に並んでいるが、カーンが座ると配膳を受けた。

 私を抱えているからというより、本来この場所に来る者ではないからだろう。早々にいなくなって欲しいのか、単に気をきかせたかは不明だ。

 私はと言えば、体に力が入らずに息を荒らげている。

 それを支えるように自らに座らせると、カーンは並んだ食事を手に取った。

 ドロリとした汁に穀物が浮かんでいる。

 カーンは器を手に取り、木匙で私の口に運んだ。

 普段なら介助など論外と突っぱねるが、すでにそんな力は残っていない。

 私は素直に、食べられると感じているうちにと口を開く。

 暖かい汁だ。

 飲み込むと、その暖かさと旨さが落ちていくのがわかる。

 まだ力が入らないので、口元に寄せられる木匙を自分で握る事ができなかった。

 食べ物の前では幼児扱いでも平気だ。

 噎せないように、少しずつ食べていると、震えがおさまってくる。

 気持ち悪い脱力感も、少しだけ押しやる事ができた。

 かわりに、座った椅子が震えている。

 その椅子は、私に食事を運んでいたが、笑いを堪えるのに必死のようだ。

 女児の扮装で、食事を食わせてもらっている姿が笑えるらしい。

 失敬だ。

 それとも女児に食事をとらせている己を笑っているのか?

 どうでもいい話だ。

 食事に集中する。

 しかし笑いを堪えるのも容易ではないのか、カーンの手が止まった。

 腹具合を推し量ると、もうちょっと食べたい。

 となると、ここは何とか自力で食卓の上から食料を確保せねば。

 震えが小さくなったので、なんとか上半身を起こすべく力を入れる。

 だが、力をいれたら肋が痛い。

 単に肋が軋むのではなく、ゴリっとあるべき場所から外れる感覚がする。

 息が勝手に口から漏れて、脂汗が滲んだ。


「力を抜け、自分で動こうとするな。せっかく食べたものが無駄になるぞ」

「なら笑わずに食べ物を食わせてください。失敬ですよ」

「お前、態度がでかいよな。その調子で貴族に口をきくなよ」

「貴族様は、下々の介助はしません」

「..うむ、そうか」


 それでも来匙が口に寄せられる。


「..いやな、昔を思い出してよ。子供の頃だが」

「言わなくていいです。どうせ動物に餌付けした事を思い出したの、なんのと言う気でしょう」

「ちょっと食ったら無駄に元気になってきたなぁ」


 カーンは笑いながら汁椀を置くと、蒸餅を手に取り小さくちぎった。

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