第535話 鏡 (終)

 一回り墓所を歩く。

 表面には様々な彫刻が施されていた。

 小さな家を模した石の骨格。

 窓や出入り口の部分には鏡面だ。

 乳白色の石は、装飾の花びら一枚、それに身を寄せる蝶の姿にしても、触れれば生きて動きそうに見えた。

 ゆっくりと歩く。

 放置されているとは思えない鏡面の輝き。

 建物の表面には、苔も汚れも見えない。

 岸辺からも遠く、枯れ葉一つ見えず。

 冬の入り口にある水面の睡蓮が、真夏を湛えたように未だに深い色をしている。

 そこに映し出されるのは、空であり、湖であり、柱と私達だ。

 兵隊たちも物珍しそうに睡蓮を眺め、柱の彫像を見上げ、そして姫が眠る墓という器に見入る。

 祭壇は無く、本当に建物だけがそこにあり、小さなその世界は、時間をかけずともあっという間に見終わった。


 これがニコルという名に釣られ、足を運んだ結果である。


 何もなく、美しく壮大な作り物の中心にある小さな世界に、虚しさだけが居座っていた。

 それを認めれば、兵隊たちはさっさと足早通路の安全を確認し、一部は岸辺へと戻る。

 無駄足であったのか、と、私とカーンは、宮居を前に立つ。

 その正面に立つと、墓参りに来た者の姿が鏡にうつる。

 護衛に立つ兵士、私達、背景は何も変わらず、建物の入り口は無い。

 残念ながら帰るか。

 と、そうして傍らの男を見上げた。

 見上げると、珍しく男の眉が困惑に下がっている。


「どうしました?」


 抱えられたまま、私は首を傾げた。


「オリヴィア」

「はい」


 名を呼ばれた。

 だが、次の言葉がない。


「オリヴィア」


 懇願する響きが混じり、私は慌てて男の視線を辿る。

 何だ?

 墓を見回す。

 変わらずそこにある物。

 私達、兵隊、景色。

 カーンを見る。

 もう一度、墓を見て、そして。

 カーンの背後を振り見る。

 それからゆっくりと、正面の鏡を見た。


 私達がいる。

 護衛の兵隊たちもいる。

 空。

 湖。

 何ら欠ける事無くある。

 あるし、


「誰?」


 と、問うたが、そもそも私達の背後には、誰もいない。

 まして、問うような見知らぬ誰がそこに居ようか?

 兵隊たちは等間隔に敷地に立っているが、背後は岸辺へと続く通路だ。

 背後には、誰も、いない。


 だが、鏡の中には、


 私を抱えるカーンの後ろに、男がいる。

 距離はあった。

 ちょうど墓の敷地の縁にいる。

 カーンの利き手は、剣の柄に置かれた。

 私は男の顔をよく見ようと鏡に見入る。

 確かに、背景全て余すこと無くうつしていた。

 だが、背後の男の顔だけが滲んでよく見えなかった。


 寒い。


 ふと、私は身震いをした。

 少し視線がそれたが、戻して思わず体が跳ねる。


 男が一歩、側に。


 目を離すのが怖くなった。

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