第536話 挿話 煉獄への道程

 自分の中では、すべて整合性がとれていた。

 義理の息子へ与えた事も。

 娘によって、運び出した事もだ。


 だが、それでも、私は...

 ...

 ...

 ...

 ...


 死んで、楽になりたい。

 と、ふと思う。


 すると途端に、意識が濁る。


 どうでもいい。


 なぜ、という疑問が消えていく。

 なぜ、与えられた?

 なぜ、自分は与えた?

 理由を問う気持ちが消えていく。

 わからない。

 それでも変化は微かに訪れる。


 自分がわからない。

 それにうっすらと気がつく。

 自分が、わからない。

 私という個の意識が滲んている。

 私?

 檻だ。

 私という檻が、勝手に動いて勝手に息をする。


 死にたい。


 と、微かに残った何かがつぶやく。


 私は、誰だ?


 朝、見知らぬ他人の顔を見て、薄ぼんやりと気がつく。

 鏡から見返すのは、誰だ?と。

 ようやく取りこぼした人生を微かに思い出し、死にたいと呻く。

 が、それも長くは持たず、よくわからなくなる。


 長い間、それとも短い時間だったのかもしれない。

 過ぎ去った時間が問いかけてくるが、あっというまに呑まれて消える。

 ただ、今までとは違っている事を感じる。

 絶望が消えない事。

 それが逆に、私の器に何かが戻って来た印だった。


 これまでは日々生きているように器があるだけだった。

 食い、眠り、喋る、死人だ。

 中身も無気力に浸る腐り具合で、時々、過去の苦しみに絶叫するだけの塵だ。

 私を中心に腐り落ちていく人生を、全てが駄目になっていく様を眺めるだけの塵。


 それがある日、弱まった。


 薄くなり、感情を覆う幕が取り払われた。

 そして絶望と避けていた悲しみが戻り、私が形を取り戻す。


 あぁ死にたい。と、思う事ができた。


 誰かが救いを齎した訳では無い。

 ただ、薄れたのだ。


 そして次に何が訪れるのか?


 と、怯えた。

 己が死ぬのは当然だ。

 苦しんで死なねばならない。

 だが、孫や周りの無関係の者が、これ以上、巻き込まれて欲しくなかった。

 もう十分に巻き込み、苦しみを与えているのだから。


「お祖父ちゃん、きょ、狂化した人、狂、外に、いる」


 青い顔で、孫が扉の前を塞ぐ。

 隣の若い男も、椅子や家具で扉を押さえていた。


「巫女様はぁ念の為に、奥へ。お前ら、手はず道理だ。いいな?」


 ウォルトが商会の者に指示を出す。

 扉の向こうから、あきらかに尋常ではない唸り声が聞こえる。

 徐々に、それは大きくなり、今では耳を聾せんばかりだ。


「おぅ、おめぇ。外にいんのはぁ、何処の誰だ」


 ウォルトが控えの部屋から大ぶりの鎚を取り出した。

 大工仕事に使う代物ではない。

 彼の体に見合った、戦鎚だ。

 まるで、分かっていたかのように備えが良い。


「テリーチルカ、領兵町の」


 泡を食う領土兵の青年、否、少年を見据えて、武装船員が首を傾げた。


「そいつは人族だろう、おかしいじゃねぇか」


 扉を押さえる少年を退けると、障害物をはらった。


「入って来ちゃうよ」

「大丈夫だぁ、俺とお嬢ちゃんの爺さんがいりゃぁ、大抵の人族は紙だ」


 そのビミンを巫女頭が奥へと引き寄せる。

 それを見て、ウォルトが自分へと顎をしゃくった。

 剣帯の留め金を外し、いつでも抜けるようにする。

 それからそっと扉を開けた。

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