第52話 グリモアの主 ④

 朝陽を見ていた。

 けれど、後ろには夜がいた。

 声が、したんだ。

 ぞっとする女の声だ。


「逃げるなんて、許さない」


 最初、男が言ったのかと思った。

 けれど、声は女だ。

 あざ笑うように、その声ははっきりと言った。

 俺がぞっとして振り向くと、男は仮面のように無表情で虚ろになっていた。

 それも一瞬で、男は再び表情を取り戻すと、しきりに頷き笑い続けた。


 ジグの夜戦は勝利した。

 だが、本当の顛末は、こんな信じられない話だ。

 あの時、ジグに集まっていた敵は、全て燃え落ち消えちまった。

 彼らは朝方上陸して、占領戦の勝利を祝って終わるつもりだったろう。

 だが、一晩で燃え落ち、否、喰われて消えた。

 残っているのは、浜に打ち上げられた骨だけだ。

 敵の主戦力は消え、再投入前に中央から補給が来た。

 俺達は勝者として残った。

 中央からの補給も、俺達が駆逐された後に、再度、占領戦をするつもりだったはずだ。

 だが、俺達は、残った。

 敵戦力を低下させ、ジグ一帯の戦況さえ勝利したも同然にして。

 俺達は、ジグの夜戦で英雄となった。


 だから俺達は、皆、口をつぐんだ。


 ***


 彼の話は、そこで途切れた。


「その男は、何者なんだ?」

「何者でもない。俺達と同じ、だ」

「死人って」


 少し困った顔で、彼は続けた。


「彼は、中央の貴族だ。

 それも古い家系の公爵で、大公一族の一人と乳兄弟だ」

「大貴族じゃないか」

「そうだ」

「何で戦争に」

「そうだな、疎まれていた事だけは確かさ」

「政争で落ちぶれたのか?」

「思想だよ、異端審問にひっかかった」

「邪教徒か?」

「男の考えに賛同した者が、公王継承第五位の乳兄弟だ。邪教徒ではないが、今の政治体制で、主張してはならない発言が多かった。神の否定もあったそうだ」

「無神論者か」

「違う、国教を否定した」


 宗教色の強い王国での、発言は注意が必要だ。

 国教の否定は、王家の否定でもある。


「だが、異端審問にはかけられなかった」

「何故だ?」

「公爵の彼を罪に問うと、連座で多くの人が死ぬ。影響が大きすぎた。」

「だから、戦地へ送った?」

「そうだ。それに死人は殺すことができない」

「それは、どういう意味なんだ?さっきから」


 死人と云い続ける相手に、私は眉を寄せた。


「あぁ、ジグから戻った俺達の話をするよ。だが、その前に、アレがちょっときそうだ」

「アレ?」

「あぁ、生贄の間の守り人だよ。黙っていれば気がつかない」


 静かな石の街に、物音はしない。

 聞こえるのは、私の息遣いだけだ。


「ほら、出てきた。動くんじゃないぞ」


 灰色の石碑の列から、薄ぼんやりとした影がわいた。

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