第838話 モルソバーンにて 其の一 ②
朝食は、豆と肉の煮込みだ。
甘酸っぱい味付けで、消化に良さそうだ。
「どうだ、体の具合は?」
快調です。
「そりゃいい。
この先、ちょっとした不幸に見舞われても大丈夫だな」
いや、不幸は勘弁してほしいです。
「まぁ不幸や災難は逃げ腰のヤツの所へ流れるもんだ。
おい、サックハイムとやら、さっさと諦めて食事にかかれ」
急に声をかけられて驚いたのか、青年の体が飛び上がる。
それでやっと気がついたらしい。
配膳の兵士が差し出す食事を受け取ると、丁寧に礼を述べた。
行軍随行を嫌がっていると言うより、何か気苦労がある様子だ。
確かに、今の状況はボフダン人としても困ったことなのだろう。
そうして暫く、皆、無言で食事をとった。
海辺から離れ、空気も風も、塩気が無い。
思ったよりも、海風は身に重く感じていたようだ。
朝靄の中で、木々の緑と軽い風の流れが清々しい。
食事が終わり後始末もあらかた終えると、兵士たちも休憩を交代でとっている。
私は食後の薬を白湯で流し込む。
テトも食事が終わったようだ。
いつの間にか、私の隣りに戻ると顔を洗っている。
『ここのご飯も食べる?』
(だいじょぶぅ)
公爵は食事を終えるとぼんやりとしていた。
表情を無くすと、元が瑕疵の無い顔である、温度のない彫刻のようで、怖い。
昔から石像や人形が苦手だ。
人毛を使用した高価な人形も、実は怖い。
おかげで普通の女児のような人形遊びの記憶もない。
それにしても、公爵の顎はつるりとして陶器のようだ。
潮風に吹かれた私の肌なんてカサついているのに。
『髭は生えないのかな?』
「いや、生えるだろう。朝にあたったんだろ、きっと」
自分の顎に向く視線に、カーンが答えた。
「俺の剃り残しを探さんでいい」
私達の会話が聞こえたのか、物思いから覚めた公爵が口角をあげる。
「これから訪れるモルソバーンの街について、お話をしましょうか?」
と、答えを聞く前に、公爵はサックハイムを見た。
「君は、知っているかね?」
ようやく血色が戻ってきた青年は、頬を擦ると苦笑した。
「人工石材の生産が有名です。
マレイラの建材、王都の市場もモルソバーンの建材が独占しています。」
「模範的な回答だね。
彼の言う通り、モルソバーンは建築資材の元となる人工石材の生産地だ。
コルテス鉱山からでる廃棄物を原料に使っている。
如何に毒物になりかねない物質を無害化できるか、その研究が始まりですね。」
このモルソバーンの石材の強度、耐火にすぐれている事が認められて、現在は神殿建築に使われ、重要な拠点の外殻壁にも採用されているそうだ。
それにつれて王国の建物の多くが、この石材へと置き換わったらしい。
「石材の加工技術は大陸一だと自負しています。
鉱山、造船、鉄鋼と東マレイラの財産は、鉱物資源もそうですが、技術力を持つ人材あっての事なのです」
『つまり、その為の領地隔離政策だった?』
「良いように考えればな」
私の呟きに返すカーンを見て、公爵が笑った。
「卿は、どうして姫の声が聞こえるのでしょう?」
「姫って誰だよ。
声が聞こえる理由?
前にも言ったか?心が綺麗だと聞こえるんだぜ。
真っ黒な腹の持ち主には、聞こえねぇんだ。
嘘つきは特にな」
「えぇっ!私にも聞こえないです。あぁ口を挟んで申し訳ありません」
「冗談だから、真に受けるなよ」
「冗談なんですか、本当だったら便利ですのに。これから行く先の人間に試したかったです」
『お役人にしては素直で、面白い方ですね』
「だから不憫だろ?」
冗談を真に受ける青年を他所に、なら、何故私には聞こえないのでしょう?
等と空惚ける人物の発言は流された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます