第837話 モルソバーンにて 其の一

 ミアの説明によれば、まず向かうのは荷揚げの関近くで一番大きな街、モルソバーンだ。


 モルソバーンは、コルテス十六氏族の一つ、アーべライン・コルテスが治めている。

 正式な氏族名称は、アーべライン・モルソバーン・コルテス。

 氏族名は、土地の名だ。


 コルテス公爵より拝領したモルソバーン地方の、アーべライン氏族という意味だ。


 アーべライン氏は、公爵嫡子の後見に据えられた人物である。

 公爵不在の五年、主な氏族が亡くなるという事態。

 その中でアーべライン氏は、どうにか生き延びているらしい。

 事故に遭い死にかけたとも、身が不自由となり寝付いているともいう。

 どちらにしろ生きてはいるが、コルテス領地の運営に参加できる状態ではないという話だ。


 その話が本当か否かは不明。

 様々な検討がなされたようだが、公爵の生存を知らしめれば、反応があるだろう。

 まずは小手調べ、敵方の様子を伺うというのも立ち寄る理由だ。


 この嫡子、娘姫様の後見がどのような具合かで、今後の予定が組まれるのだろう。

 それにこのモルソバーン地方を押さえておかねば、奥地に向かう我々の後ろをとられる事となる。

 不安材料を潰す為にも、このアーべライン氏との接触が重要な初手になるだろう。


 念の為、モルソバーンに入る前に休憩をとる。

 しっかりと食事をとり、馬ともども休むのだ。


 食事か馬の世話をしようとしたのだが、ひょいと担がれるとカーンと公爵の休んでいる場所に降ろされる。


 ...いつも思うのだが、彼らにとって私の大きさは運びやすいらしい。

 むぅっと運んだ相手を見上げると、満面の笑み。

 曇り無き善意の笑顔には、運ばれた礼しか言えない。

 口の形だけでもありがとうと伝えると、どういたしましてとニッコリされた。

 まぁ、うん、赤ん坊ではないのですよ。


 ちなみに運んでくれたのは、笑うと前歯が欠けている、中々に味のあるお顔の御仁だ。

 炊事当番の人物で、荷駄の鍋釜をとりに来たついでらしい。

 笑顔の迫力からすると、絶対オービスかスヴェンの親戚だと思う。


 テトは荷駄が止まった途端に、森の中に駆け込んでいった。

 多分、自前で食料を調達に向かったのだろう。


 私も自分で歩きたい。


 恨めしげにテトの消えた木々の方を見ていると、誰かの大きなため息が聞こえた。

 焚き火を囲む中で、公爵とカーンが難しげな顔で色々と話し合っている。

 領地の事、向かう先の人物や背景、その他雑多な会話である。

 そんなカーンの隣りに腰掛けたのだが、その私達から少し離れた場所に、膝を抱えた青年が項垂れていた。

 多分、彼のため息だ。

 顔色が悪く、目の下の隈がどす黒い。

 大丈夫だろうか?


 この場所は倒木と垂柳が囲む小さな空き地である。

 塩を含まぬ微風に緑が揺れて爽やかだ。

 その緑の枝も、彼の場所だけどんよりと陰鬱に見えてしまう。


「あぁ、お若い方は、ちょっとした変化に弱いですからねぇ」


 何故か私の考えを読んだらしく、公爵がやれやれと皮肉な口調で言った。

 カーンとの会話を切ると、さも可笑しくも情けないという顔をする。


「ちょっとした変化か。

 結構なとばっちり、災難だと思うが?」


 カーンが食事の配膳に来た兵士から器を受取り、私に語る。


「貧乏くじという奴だ。

 この男が城塞に残るはずの奴を、無理やり引っ張り込んだんだ。

 実務能力の高いボフダン公の親族だ。

 交渉役を押し付けた上で、証人として連れ回すつもりなんだよ。

 ひでぇ話だぜ」


「おや、蚊帳の外にされるほうが困るでしょうに。

 これも思いやりというものですよ、姫」


 こちらの曇り無き笑顔には、善意も罪悪感も無さそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る