第739話 俺は変わったか? ⑫

 魔導?

 視界の回転が収まっていく。


『よく見てごらん。

 尽く他者を蹂躙するのが魔導だ。

 秩序や調和を求めていない。

 これが呪術との決定的な違いなんだよ。

 我々の描く力が円環を描くのは、神と世の調和、領域の確保を目的としているからさ。

 例え死を齎そうともね。

 全ては神の輪の中にある。

 けれど、魔導は違う。

 その輪の中には無いんだ。

 もちろん、彼らも全てを捧げている。

 魂も命もね。

 我らの理の外にいて主に一番近しく、そして穢れてもいる。

 だから魔導を扱う者は、呪術を扱う者よりも堕落しやすい。

 呪術でできない事象に手を伸ばすという事は、大罪だからね。

 ニルダヌスが出会った者は、神の下僕が差配する者であったのだろう。

 だから恐ろしく悍ましい結果を伴っていたとしても、ああして僅かながらも救いがあったのだ。

 神の意思に沿っていたからね。

 でも、それすらも忘れるとは神も見捨てる事になる。

 このオルタスに残られた唯一の慈悲を退けるという意味になるんだ。

 なんて恐ろしく馬鹿なんだろう、久方ぶりの笑いの種さね』


 カーンには..


『聞こえないさ。

 僕たちは君が好きなんだよ。

 オジサンみたいに罵らないさ。

 さて、さぁ吐き気もやっと収まってきたようだしね。

 お喋りをしようか。

 ことわりを修復する我がオラクル予言の書は、この眼の前の泣き虫死者の書よりも上位にあたる。

 つまり僕たち最強ってわけさ。

 だからね、落ち着いてよ、僕たちのお姫様。

 さぁ僕たちが一番だと、誰がこの世を正しく繕えるのかをね、教えてあげなきゃ。


 この世に在る限り、全ては神のの上だ。

 例え力が第四の領域から引き出されたとしてもね。

 さぁ目を見開き、しかと見よ!

 たかだか人皮の書物など、血肉と魂によって創り上げられた我が神の書に比べれば、児戯以下の呪物である。

 魔導を宿し形を得たとしても、宿る怨嗟も偽り、下等愚劣な代物よ。


 そもそもだ、供物の女よ。

 そもそも神が造りしこの我が身が、子らが生みし書に押し負けると思うかね?


 さぁ見るのだ!

 さぁ見てご覧よ!

 我らの目を通し、見てごらん?』


 ***


 吐き気が冷や汗に変わる。

 ゆっくりと瞼をあげる。

 視界いっぱいにあるのは、焦った男の顔。

 私はゆっくりと瞬きをする。

 相変わらず、天地を失った視界に影が見えた。

 部屋の天井に伸びる影だ。

 影は木の枝のように、壁や床にも這い伸びている。

 それはなにもない空間にも枝を棘のように広げていた。

 鉄の箱から、大きな杉の木が生えているみたいだった。

 蓋を閉める為に、その影を掻き分けたくない。

 私が凝視しているモノを見ようと、カーンは私を抱え直すと部屋を見回した。


「俺にも視えるぞ、オリヴィア」


 鉄の箱から伸びる枝。

 影はウゾウゾと蠢いている。

 影、それは蟻のような虫でできていた。


「何が見えるんだ、カーン」


 カーザの問いかけと同時に、壁に掛けれられていた地図の額にひびがはしる。

 その隣に置かれた書架の側面も傷つきひびがはしる。

 それは徐々に部屋の石壁にも及び、割れ目を見せた。

 ピシピシと部屋全体が軋み押しつぶさんとばかりに揺れる。

 堅牢な城塞が慄くように歪んだ。

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