第803話 挿話 陽がのぼるまで(上)②
眼。
ギクリと体が跳ねた。
集会所の裏手の壁には、小さな窓がある。
いつも陽に焼けた布が下がっていて、中は見えない。
なのに、今は隙間がある。
隙間。
真っ暗な闇。
黄色に赤い虹彩の、眼。
驚いて凝視したが、それも瞬きもせずに見返してくる。
眼をそらしたら、駄目よ。
いつもどおり、見てしまったら動いては駄目よ。
誰?
あの部屋の窓だ。
航海士の、巫女様も一緒にいるはずだ。
真っ暗なはずは無い。
部屋の様子は見えない。
闇の中に眼だけがある。
怖くないわ、いつもどおりよ。
大声を出せば、お爺ちゃんだって、他の皆だってすぐ側にいるんだから。
私のそんな気持ちを見透かしたように、瞬きひとつしない眼が言った。
『オマエ、シッテル』
眼が喋るわけないわ。
そうよ、いつもどおりよ。
誰かいるのよ。
まるで耳元で言われたように聞こえても、違う。
『シッテル』
私の側には誰もいない。
だから、覗いてる誰かが言ってるの。
答えちゃ駄目よ。
黙っているの。
いつもどおり、黙っているの。
『オマエ、コドモ、マド、オチタ
ミタ、オチタ
オトコ、ナイテ、ワラウ、ナイテ、ワラ』
嗄れた女の声だ。
航海士じゃない?
『モウスコシ、クエタ
クワセナイ、ナゲ、オトシタ、オトコ
カワリ、ミ、ガワリ』
何の話?
裏口の扉が音をたてて開いた。
母さんだ。
「ビミン、そろそろ雨が降りそうだから、中に入りなさい。」
窓の布は、隙間なくおりていた。
いつもどおり、何も変わりはない。
私は言われたとおりに中に入った。
振り返ると戸口で、母さんは背中を向けて立っている。
水平線。
白い壁。
冬の空。
その背中だけが、景色の中で浮き上がって見えた。
中に入り、一番最初に航海士の部屋の方を見る。
今まで置かれていた天幕や寝台は、怪我人が亡くなりすべて片付けられていた。
集会場本来の広い間取りに戻っている。
最後の一人である航海士は、壇上奥の小部屋にて寝ていた。
集会所の入口は北側、東側が壇上になっており、その奥壁沿いに小部屋がある。
事務部屋は壇上対面の西側にあり、南側中央に炊事場へと続く入口がある。
特に人が隠れる場所は無い。
小部屋の入口は開かれており、中で巫女様が座っているのが見えた。
寝台は天幕に覆われていたが、そこに闇も無ければ、不審な物も無い。
いつもどおり、怖いことは無い。
そう声は女だった。
巫女様ではない。
気味が悪い。
けど、いつもどおりだった。
不安。
予感。
何かの視線。
自分を疑う心。
多分、今までは誰かに責められる事を恐れていた。
生きる事が辛くて、そればかりに気を取られていた。
それが薄れて、あの子がいなくなって。
少しだけ与えられた平穏が、だんだんと消えて。
弱虫だから、次に訪れるだろう不幸を探している。
怖い事。
恐ろしいこと。
あの事件の所為で思い出した。
久しぶりに思い出した。
昔の自分、ちいさな自分が、いつも感じていた事。
いつもいつも、思っていた。
不安。
予感。
視線。
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