第873話 モルソバーンにて 其の六 ②

「鉄の取っ手がありますね」


 水面に沈むかのように、ザムが闇に消える。

 唐突にかき消え、それが闇ではなく淀む何かがあると伺えた。

 イグナシオの手から命綱がスルスルと抜けていく。


「風の流れは匂わぬな」

「毒の淀みがなければいいがな」


『毒の淀み?』


「山の穴によくあるだろう。

 古い穴、炭鉱、地下道、下水道か。

 正常な空気とは限らない。

 俺達でも、そうそう長くは留まれねぇ。

 お前に至っては、即死しかねねぇような毒が淀んでるのもある」


 それでザムが先行し、彼等が動かないという訳だ。


「糸の先が通じていたとして、進むのが無理なら、他の侵入口を探すだけだ。

 こちとら急いでいる訳でもねぇ。

 急いでいるのは公爵だけだ。それに」


 カーンは縄の動きを追いながら、少し笑う。


「イグナシオ、何か言う事があるんじゃないか?」


 それまで黙って、縄を送り出していた男は、面倒そうに顔を向ける。


「何も」


 その会話の間に、縄がグイグイと引っ張られた。


「下通路です。問題は無さそうです」


 ザムの言葉に、イグナシオは縄を金庫に縛り付けた。


「降りられるか、俺につかまって降りるか?」


『自分で降りられますよ、旦那。必ず片手はあけておいた方がいい』


「託宣か?」


 一瞬返答に躊躇う。


「娘は最後にしたほうがいい。

 何が起こっても、最後なら逃げやすかろう」


 イグナシオの口出しに、カーンは肩をすくめた。


「お前が焼き払う時は、俺も後ろにいたいぜ」


 さっさと穴に消える相手を追って、カーンも穴に足を入れる。


「下に男三人いれば、お前が足を踏み外しても首の骨は折れねぇしな」


 と、男の頭が闇に消え、私も穴の縁に手をかける。


『ありがとう』


 床の埃が消えていく。



 汝は選び、選べるように

 徳高き者の亡骸を届けよ

 免罪符は、汝が真心にて与えるがよい


 滅びは、罪人が選んだ事だ。


 そも東の慈悲は失われていたのだ

 ヨルグア流浪の民の娘、娘

 許しを求めた方々のお心は

 仇で返されたのだ

 ヨルグアの娘、娘

 罪人は許されない

 もう許されない

 お前は選び、選べるように

 滅ぶべきモノは自ら選んだ


 昔々


 男は罪に耐えかねて、自らを分けた


 一人は、極北の闇に残り罪に腐り落ちた

 一人は、破滅を避ける為に原初の光りを求めた

 そして最後の一人、逃れた罪人は、慈悲を求めて東に落ちた


 慈悲を選び、選んだはずが

 その慈悲は、何処にいる?

 騙され、刻まれ、何処にいる?

 水妖の妻を持つ、東の慈悲は今何処?


 五臓の壺に収められ

 慈悲は打ち捨てられたのだ


 故に、これは幸いである

 ヨルグアの娘

 故に、これは幸いである


 罪人は許されず、免罪符は今、与えるべき慈悲はここにあるのだ


 ヨルグアの娘

 お前は選び、選べるのだ





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