第872話 モルソバーンにて 其の六
怖さはある。
けれど、少し可笑しみもあった。
目覚めてしまったモノが、邪悪とは限らない。
繰り返し、蝋燭の頼りない光りに影がいたずらをしている。
『教えてくれるの?』
語りかけると、覗き込んでいた瞳と背後の影が少し揺れる。
私の目を覗き込んでいたカーンが振り返り、会話をしていた二人も何事かと視線を辿る。
そうして私達が見守る中で、影は棚からしゃがむと床をまさぐる仕草をした。
イグナシオが怒り狂うかと思ったが、はからずも影には関わらず、棚の近くにしゃがみ込む。
ザムとカーンは繰り返される影の動きを凝視したままだ。
驚いているようには見えない無表情だが、目だけが繰り返される動きを追っていた。
不思議なのだろう。
「お前、こういうのはいいのか?」
誰に対しての問いかけかは、当人には直ぐにわかったようだ。
イグナシオは鼻を鳴らすに留め、床の木目を弄っている。
そうして木目の切れ目を叩くと、音が違う場所があった。
それをゆっくりと押し込む。
蝶の羽のような木目を押すと、床の表面が音をたてて組み変わる。
カタリカタリと気味の悪い音が鳴り響く。
音から察するに、広く深い空間が下に続いていそうである。
そして最後にパタリと音がして、暗い穴が現れた。
通路だ。
穴蔵からの冷たい風とともに、影絵は煙りのように消えていった。
『教えてくれてありがとう。
..そういえば妖精は、自然のモノになるのでしょうか。
伝承や寓話では、動物、植物、大地のどれに属していましたか。
花々や草木、朝露からも生まれるのですよね』
遅れた私の言葉に、カーンが気の抜けた返事をする。
「その基準がわからん。
おかしなモノは、全部、オカシイだろう」
『自然の生き物すべてが人間に牙を剥く訳でもないでしょう』
「動く死人は知ってるが、化け物とお前の言う妖精の区別ができるほど知らねぇよ。
つーか、そもそも人外の良し悪しの区別はつかねぇし、全部、ぶった斬れるかどうかだ。
よくわからねぇモノを妖精だなんぞと」
「カーン、見てみろ」
珍しくもカーンの思考がそれるのを、イグナシオが止める。
「何かあったか?」
「見えない。こっちもオカシナ事になっているようだ」
穴は、彼等がぎりぎり通れるだけの大きさで、覗き込んでも先が見えない。
真っ暗だ。
闇夜に目が利く彼等も、力を得た私でもだ。
グリモアが見通せぬのなら、これはオカシナ事である。
目隠しだ。
心安らぐ夜の闇ではない。
「自分が先に降ります」
ザムの申し出に、カーンは縄をつけるように指示した。
「無理はするな、降りられる場所があるなら縄を引け。
腰の壺は」
「大丈夫っす」
「祟るのだろう、割ったらどうする」
男達の会話に、彼等が当然のように応えた。
床の埃が文字を描く。
気が付かない男等に、私が代わりに伝えた。
『やはり私にくくりつけてください。』
それにカーンは片眉をあげた。
『持ち出し、運ぶ事は許されています。
神仕えの方々に手渡し、ご家族の元へと返せれば、それでよいのです。
一度本神殿への長旅をすることにもなります。
方々は許されておりますし、誰が罪人かは知っておられるようです。』
「大丈夫なのか?」
『争いごとになっても、私が一番動きません。
割れたとしても袋ごと持ち帰り、神仕えの方々に渡すのが重要なのですから。』
そこで五臓の壺は私の背に移り、ザムは腰に縄を巻いて穴に入ることになった。
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