第729話 俺は変わったか? ③

 室内に揺らめく灯りに目を移す。

 知りたくないと思う。

 でも、これは知っていたほうがいいこと。

 誰かの痛み。

 誰かの悲しみ。

 誰かの、愛。

 ニルダヌスの記憶をグリモアが鮮明に描き出し、見せる。

 本当にあったことではない。

 彼の記憶にあるできごと。

 彼の心の風景だ。




 西の建物は白壁に赤い屋根、明るい陽射しに乾いた風が心地よい。

 窓辺に座るニルダヌスは、小さな鉢植えに話しかける。

 あぁ今日も良い天気だ。

 孫に会いに行かねばな。

 他愛もない独り言。

 独り言?

 その部屋の奥。

 影に横たわるは骨だ。

 柔らかな寝具に横たわるのは、肉を落とした白い骨と美しい金の髪。

 手入れが施された白骨に、彼は延々と語りかける。

 鉢植えに語りかけているのではない。

 死んでしまった、妻にだ。


 その白骨には、小さな花が一つ咲いていた。


 小さな小さな蓮の花のような、可愛らしい桃色の花だ。

 それが蔦を伸ばしニルダヌスを覆う。

 優しい抱擁は、彼の全てを奪っていく。

 心は空になり、悲しみも小さくなっていく。

 愛していた時間も消えてしまう。

 それでも小さな花は、彼を殺すこと無く悲しみや苦しみを奪った。

 罪への報いだとしても、恐ろしくはない。


 彼は少し微笑んだまま、外の陽射しを見ている。


 愛が終わり、彼は牢獄に自ら入ったのだ。




「彼の連れを助けました。

 彼らは、その不思議な技以外は普通の人でしたから。

 難儀していた旅人を助けただけ。」


「詳しく」


 モルダレオの言葉に、ニルダヌスは言葉を探した。

 景色が又、見えた。


 夜だ。

 彼は立ち往生した場所、西で職を得た。

 警邏だ。

 彼は一人、夜を歩いていた。

 城塞らしき影、遠くに砂漠。

 眼の前にはしゃがみ込む女、介抱しようとしている男。

 ごく普通の旅人に見えた。

 ニルダヌスは彼らを助け、親しくなる。

 すると男の方がある時、何かをしているのを見る。

 やはり夜だ。

 夜に見かけ、後をつけた。


 壊滅した商隊。

 荷車が引き倒されている。

 荷を引く騎竜の死骸も見えた。

 護衛の死体、たくさんの死体。

 そこに立つ男。

 首が半ば断ち切れた男が起き上がり、男に何事かを言った。

 従い指を指す。

 砂漠の方を指差し、歩き出す。

 それに続く男。

 ニルダヌスも続く。

 その先は見えない。

 彼らが消えた後、地面から蔦が広がった。

 蔦は死体に絡みつき、多くを吸いあげ干からびさせた。

 風が吹き、砂が視界を覆う。


「連れは妹でした。

 あまり丈夫な質ではなく、難儀しているところを助けました。

 ア・メルン城塞にて難民として暮らす事になりましが。

 はじめ彼らが何者であるかは、知りませんでした。

 病弱な家族を抱えた者どうし、助け合えないかと気にかけていただけでした。」

「どうして魔導師と知った?」

「彼の妹が攫われたのです。

 彼は無用な力をふるう事はなかった。

 生きる為には使わぬ力だと申しておりました。

 ただし、彼らが使命を阻むというなら、存分に使うとも申しておりました。

 彼はそこから人攫い達を追い、殺しました。

 人攫いの仲間、その血筋すべてを殺しました。

 只人では行えぬ事を見ました。

 そして攫われた妹を取り返し、彼らは去る事に。

 多くを奪い殺したので、彼らは逃げねばなりませんでした。」

「なぜ、司直に頼らぬ。お前もその一端を担っていたのではないのか?」


 カーザの物言いに、ニルダヌスはフッと笑った。

 彼はカーンを見る。


「南領南部、西の奥地ではな、盗人は被害者が処刑していいんだ。

 族滅ぐらいは当然なんだよ。

 あっちの荒廃は普通じゃねぇんだ。

 人の物に手をだしたら、それが卵一つであろうと首を斬り飛ばすのが流儀なんだよ。

 ただ、ア・メルンは西の人族長命種が支配者だ。

 だからな、勝手に殺してはならんとなる。

 が、そんなのんびりと構えてたら、殺され財産を奪われるのも知ってるから、城塞の主も何も言わん。それでも見逃して抱え込むには派手にやりすぎたんだろう。」


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