第706話 説話 ②

 人の動きが見えた。

 街の者だ。

 奇妙な事に、街の者同士で争っているように見える。

 掴み合い、殴り、押し倒し、群がるように逃げ回る者に組み付いては囲む。

 道に沿って視線を動かす。

 そうして争う者もいれば、呆然と立ち尽くして動かない者達も多くいた。


 黒い影は何処だ?


 街を素早く見回す。

 左右に振り視点を大きくする。

 焦り。

 私は何かに焦りを感じている。

 奇妙な心の動き。

 何かを見た。

 テトが鳴く。

 怒り。

 威嚇し低く唸る。

 勝手に汗が吹き出し、私は喋れないというのに口を押さえていた。

 恐ろしさを感じる私。

 猛烈な怒りを覚えるワタシ。

 両極に走り出す感覚。


 混乱を抑えろ。


 まだ、誰が死んだのか確かめていないだろう?


 顔見知りの誰かを失ったと決まった訳じゃない。


 もう一度、視線を街に凝らす。

 すると何がおかしかったのか気がつく。

 視界に幾つかの屈曲があるのだ。

 景色の歪み。

 割れた鏡のように、視界に歪みがあるのだ。

 目の端に黒いモノ。

 それが街を抜け、海を背景に右に動く。

 私は海に視界を向け、歪みが動くのを確かめた。

 その黒い男の姿が動くと共に、見える景色が歪むのだ。

 男から湯気でも立ち上るかのように、視界が歪む。

 私はもっとよく見ようと、草の間から身を乗り出した。


 あぁ、腐れた魂が見えたぞ。

 あぁ、何と愚かな事ぞ。


 目。

 目が見えた。


 グリモアを通して、黒い影に目が見えた。

 ぶれる男の動き、顔は動いてよく見えない。

 だが、その目だけは、やけにはっきりと見えた。


 黄色の眼球に赤い虹彩。

 その目はウネウネと動き回り、何かを探している。

 私は即座に草に伏せた。

 よくわからぬが、見られてはならぬと思った。


 あぁ今は

 今は見られてはならぬ。

 そして見てはならぬ。

 まで、見てはならぬ。

 今、一時、戻ればよし。


 何の事かと問うも、今は語らず沈黙が返る。

 かわりに過ぎ去るまで、私は伏せた。

 テトも唸りを押さえ、兵士達もカーンも身を隠した。

 全員だ。

 皆、見えなかった者達も、何かを受け取ったのだ。

 穢らわしい何かを。

 よくないモノを。

 あの土手で見た呪詛と同じく、近寄らせてはならぬモノだと。

 囂々とうなりをあげていた海風でさえ、何かを感じたように弱まった。


 去ったぞ。


 その呟きの後に、男の、調子外れの歌が聞こえた。


 ***


 フォードウィンの双子

 嘘つき双子

 意地悪な兄を焼いて食べた

 兄が水妖の巣を隠したと嘘をつき

 兄を焼いて食べた


 フォードウィンの双子

 嘘つき双子

 口うるさい母親を煮込んで食べた

 母親が水妖の仲間になったと嘘をつき

 母親を煮込んで食べた


 フォードウィンの双子

 嘘つき双子

 乱暴者の父親を膾に刻んで食べた

 父親が水妖の仲間になったと嘘をつき

 父親を刻んで食べた


 フォードウィンの双子

 双子の娘

 水妖の娘

 本当の双子は腹の中

 焼いて煮込んで刻んで食べた

 とうの昔にフォードウィンの双子は腹の中



 ***


 岩場にザムによって押さえられていた公爵が顔色を変えた。

 何か喋ろうとしたのを、ザムが片手で口を塞ぐ。

 奇っ怪な呟きは風に流れ、あの黒い男が徐々に丘を登ってくるのがわかる。

 声がだんだんと近づいてくるのだ。

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