第633話 五年分の空白 ⑦

 私がカーンの影から見ていると、公爵は嬉しそうに目を細めた。


「何処までが不敬にあたるのか、こちらに判断を預けるような発言は勘弁願いたい。」

「姫よ、御名をお伺いしてもよいかな?

 私はコルテス、バンダビア・コルテスだ。」

「姫と呼ぶな。

 貴殿の姫は亡くなり、この先に墓がある。

 己で建てた墓だ、忘れるわけもないだろう。

 わざと無礼な発言を引き出そうとしているのか?」

「名を聞いただけですよ。

 別に他意はありません。」


 馬上の男は、微笑んだまま前を向いた。


「そうですね。

 そうでした。

 私の可愛い方は逝ってしまわれた。

 お花の咲く場所へ、テトと一緒に」


 お花?


 空虚な声音に忍ぶ、仄暗い気配。

 私はそっと目を細め、公爵の横顔を見る。

 その彼は、馬の揺れに身を任せ、冬の景色を見回す。


「昨日、私にとっての昨日です。

 窓を開けました。

 書斎の、庭に面した露台が見える場所だった。

 暑いのも理由でしたが、歌が聞こえたのです。

 歌、私は姫の声だと思った。

 久しぶりに、忘れかけた声を聞いた気がしたのです。

 窓を開け、それから」


 冬の景色を見つめながら、公爵は微笑みを浮かべ続ける。


「そこからは夢の中でした。

 楽しい、夢。

 夏の、姫と一緒の夏の夢でした。

 あれからずっと見ている。

 幾夜も、幾夜も。

 ずっと夢の中にいたかった。」


 それから再び、私を覗き込むように振り見る。


「姫は、いつかまた。と、仰ったのです。

 私は、その言葉を忘れない。」


 美しい思い出を語っている筈なのに、怖い。

 宥めるように私を抱えなおすと、カーンは外套の下に私を隠した。


「昔から姫の騎士には嫌われたものだが、今度もとは」


 含み笑う声音。


「子供を怯えさせるような振る舞いは慎め、敬意を俺に忘れさせるなよ。

 先の名のりを間違えたな。本式に名乗ろうか」

「いえ、存じ上げておりますよ。

 御尊父とは面識がありますので」

「これだから年寄りは嫌いなんだよ。」

「ご尊顔を拝したのは一度ですが..」

「いいよ、似てるんだろ。アレも若作りだからな。ぞっとするぜ。

 まぁ冗談も程々にしてくれよな。

 俺は冗談だとわかるが、他の奴らには通じないぞ。

 小さな形だが巫女見習いだ。

 それを怯えさせるとただでは済まん。

 東の土地ではどうだかしらんが、信心深い奴らの頭の中身は普通じゃねぇんだからよ。」

「貴殿もでしょう?

 可愛らしい巫女様に意地悪をしたという名目なら、義兄公王も無礼討ちを許すでしょうね。まぁいいですよ、それもいいな」


 と、懲りた様子もなく、公爵は笑ってうそぶいた。


「ちげぇよ、こいつ本気だ」


 嘯いた訳ではないようだ、怖い。

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