第232話 夜明け

 諦める?

 諦めさせたんだ。

 こんな幼い子供に、明日を諦めさせる?



 音が消える

 水音が消える

 悲鳴も消える



 英雄は、間に合わない。

 では、何をすべきだ?

 人を救うには、それなりの代償と覚悟が必要だ。

 私が差し出せるのは、何だ?

 意気地なしの臆病な私。

 怖がりの私。

 孤独で小さな私。



 壁に奔る光り。

 呪術陣を視る。

 奇妙にも、おかしな繰り返しがある。

 数を数えると七つだ。

 奥方が落書きした結び目とおなじだ。

 きっと、これを真似した。


「壁から離れては危ない」


 サーレルの言葉を背に、私は泳いだ。


 吹き荒れる人を浚う波をかき分ける。

 七つの転換点、それの始まりの結び目を探す。

 頭上にある時、それだけは他よりゆっくりとした回転だった。

 それと同じ小さな丸い円を見つける。

 手をあてると、微かな囁きが答える。


(ワタシにお前をよこせ。何、少し人を殺せば、ここも落ち着く)


「黙れ」


 私は、結び目の初めから、転換点を逆に揃えていく。

 古代の文字が軋んで並びを変える。

 一つの力の配列を変えると、順々と他の結び目の動きを鈍らせる。

 それをすべて同じ手順で繰り返す。


 七つ目の転換点を逆にすると、呪陣の動きが止まった。

 だが、これだけでは駄目だ。

 呪術の痕を更に細かく眺める。

 素早くグリモアの頁が繰られた。

 すると水路の壁に罅がある。

 小さな物だが、呪陣がそこを器用に避けていた。


 私が理解すると、ワタシも理解し笑った。


(やれやれ、なかなかしぶとい)


 壁を破壊すると、呪陣は動きを止めた。

 場所を拠り所とする呪陣のみ有効な破壊方法だ。

 巨大な方陣を敷く為に、簡単なやり方、手抜きのおかげだ。

 数人がかりで、罅を得物で叩き壊す。

 すると閉じられていた四方の水路が再び開いた。

 当然、大量の水と共に吸い出される。

 溺れ押し流され、一時、気を失った。

 死ぬよりはいいとしたが、溺死した者がいないか心配だ。

 そうして私は一人、暗い水路にいる。

 言われた通りしぶとかった。

 それぞれに押し流されて、私は一人だ。

 誰もいない。

 ただ濡れて、半ば凍えて歩く。


(力をつかわないのか?)


 私の中のワタシが問う。

 暗闇の中で、歯の根があわないというに、私は笑った。


「お前は誰だ?」

(ワタシは、私だ)


 それが更に滑稽に感じ、笑った。


「違う、ふっお前、何故?」

(ワタシを私として、認めないからだよ)


「そう..か」


 ***


 私は両手を体に巻き付けて、歩き続けた。

 暫く歩くと、光りが見えた。

 薄い灰色の光りだ。

 もう、夜明けなのだろうか?

 目を細めて先を急ぐ。

 抜け出した先は、フリュデンの街の側溝の一つだった。

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