第754話 それが愛になる日 ②

 死にたくない。

 闇に還りたくない。

 一人は嫌だ。

 と、私は口に出したくない。

 それらの言葉を口に出したら、つまらない人生だった。

 寂しい侘しい無駄な生き方だったと認める事になる。


 私は断じて、不幸ではない。


 これだけは言い切れる。

 私はニコル姫の欠片を見た時、そこに理想を見た。

 愛すること。

 信じること。

 分け与えること。

 明日を、誰かの明日を望むこと。

 あの夏の陽射し、充実感、高揚する感覚。


 羨ましかった。


 供物としての歩み。

 彼女は自分の終わりを悟っていた。

 怖かったろうし、寂しかったろう。

 一人で逝く歩み。

 けれど孤独の側には寄り添う者達がたくさんいた。


 私には無いものだ。


 それは口にすれば、ひどく安い。

 だが、心に、生きるに、死するに必要なものだ。


 愛。


 愛に至るには、私は未熟で誰かに分け与える力が無い。

 現に愛という言葉を持ち出せば、一瞬で色褪せ全く違うモノになってしまうのだ。


 医務室の硬い寝台で休みながら、カーンが言うところの無駄に理屈っぽい私では、愛とは真夜中の虹よりも現実味がない。


 疲れた。


 滑稽だ。

 飴を含み白湯を飲みながら、何を考えているんだろう。

 幻聴に時々叱られては、ずっと徒労に終わる思考を捏ね回す。

 自分の情けなさを反省しているのか、自己憐憫に浸っているのか。

 どちらにしろ、無駄、なのは幻聴の言うとおりだ。


 愛は私の管轄ではない。

 だからこそ姫の愛を、くだらない結末にしてはならない。

 姫の美しい世界を、血と汚濁で穢す者。


 許さない。


 不意に疲労感を押しのける力がわく。

 得た力が傲慢と驕りを齎す。

 恐れ生きる小さな身でありながら、多くを見下すとは醜い有り様だ。

 私は醜い。

 その醜さを支えるグリモアの毒。

 嫌悪だけではないからこそ、私は染まっていくのだ。

 私とグリモア。

 同意、共感。

 私とワタシは、ある部分で同意を得ているのだ。

 私を支える力、考え方。


 呪術は悪ではない。

 死霊術でさえ、悪ではない。

 邪悪なのは人である。

 グリモアが邪悪なのではない。


 祭司長殿が言っていたとおり、主は私であり彼らは道具なのだ。

 依存も又、己が望んだからであり、己自身の罪なのだ。


 共通の認識と価値観。


 依存、同調、まぁすでに分かつ事が難しい我々は、愛などという不確かな概念は必要としていない。


 疲れを押しのけ浮かぶ皮肉に、思わず笑う。

 失いし声にて、音なく笑う。

 私がワタシであり、同じ物差しで世を測る。


 美だ。


 我らが求めるは、究極の美である。


 古き価値ある言葉を使い、魅了の輝きに満ちた紋様を描き、幾重にも美しい円環を描く。

 起結は必ず還元し、調和を描く。

 破壊であれ創造であれ、すべてを美しさにて測るのだ。


 理とは美である。

 調和とは自然である。

 そこに人の善悪は無い。


 グリモアを得て、教えられた事ではない。

 私が私だった頃から持っていた考え方だ。


 と、ここまで考えてから、ふと別の疑問が浮かぶ。

 グリモアとは魔導の書と呼ぶが、理を描く筆である。

 魔導の力は使われず、呪術、理を動かすのだ。

 源泉は神の理にある訳で、そこに魔導と称する何かは無い。

 魔導とは第四の領域から力を得るモノであり..第四の領域の概念は


 まぁ愛を語るより、呪術や魔導を死者と語らう方が今の自分には興味があり、自己憐憫も消える訳で。

 そんな私に愛は、第四の領域を探求するより謎だ。


『じゃぁちょっとばかり授業をしようか?』


 唐突なボルネフェルトの言葉に、私は閉じていた目を見開いた。


『君に転写した知識の補完を行おう。

 何、君の迎えが来る間の雑談だね。

 君はちゃんと愛を心で育んでいるし、他人を思いやれているよ。

 ただ、僕達の視点が与えられ、実際の五感も人間以上に複雑になっているんだ。

 疲れたなぁっていうのは、心がそれに追いついていないだけさ。

 君の理屈っぽさは防壁でもある。

 僕達を飼う状態だからね。

 さぁもうちょっと飴を食べなよ。

 僕は薄荷は嫌いだけどさ、君の胸をすっとさせるには丁度いいさ』

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