第829話 挿話 陽がのぼるまで(結)


 処刑、されなかった。


 悲しみは小さく、ただただ安堵する。

 そしてその安堵が過ぎると、男の言う恭順の意味がわかる。

 これが見返りだ。


 手紙の続きには、黒い御領主と共に、城塞を離れるとあった。

 別れの言葉が形式どおりに続く。

 返事も無用との事だ。

 寂しいのと、顔ぐらい見たいという気持ちと、また、会えるのだろうかと思う。

 でも、返事は書けなくてよかったのだ。


 母さんの事、父さんの事、私の過去の苦しさを彼女に分けてはいけない。


 やるせなさと安堵。

 解決されていない事。

 いろいろな思いに心がきゅっとする。

 それでもお祖父ちゃんは死ぬのを免れた。


 では、私はどうする?


 母さんの荷物を整理する手を止め、お祖父ちゃんの身の回りの品をまとめようと立ち上がる。


 結論が出たら、手紙を書く。

 これからの事、そしてこれから起こる身の回りの事。


 その手紙は、王都に住む、ハーディンという人宛だ。

 ハーディンという人に宛てて書くと、それは黒い御領主の手勢に渡り、あの男に届くそうだ。

 いつ届くかはわからない。

 けれど、何か不穏な事を見聞きして書いて送れば、それは男の手に渡るのだ。

 後、他人に見られても平気なように書かなくてはならない。

 一方的な話である。

 けれども、あの男とのこれが教えられた連絡方法だ。


 エンリケ・ロメオ・ブランド。

 ブランドは、南部南西の医家の氏族だ。

 南領南部の医術者の殆どが、彼らと繋がっている。

 そしてその為に、疫病の一番の被害を受け、当時の医家は潰えたのだ。

 恨みも深かろうと、私でもわかる。

 そう、彼の態度が多少冷たかろうとも、十分に理由はあるのだ。

 そして皮肉な話だが、私は彼に手紙を書くのだ。

 親しき間柄のように。

 そしてきっと彼は嫌そうな顔をしながら、それを捨てる事無く読むのだろう。


「ビミン、何か食べ物の残りがあったかしら?」


 巫女様の呼ぶ声だ。

 そして囂しくもねだる猫達の声。

 街の改めが始まって以来、何故か教会は猫の巣となっていた。

 いつの間にか入り込んだのか、部屋部屋に彼らが居座っている。

 今のところお行儀もよく、糞尿も庭の砂場にしていた。

 砂場は元々あったのだが、何故か行儀よく用を足している。

 あの神妙な顔を見ると、少し笑ってしまう。

 砂場の掃除は増えたが、それでも猫が増えてちょっと楽しい。

 巫女様も猫がお好きなようで、食べ物を与えては彼らに囲まれている。


「はい、確か魚の残りがありましたよ」


 向かう先を祖父の部屋から台所に変更する。

 戸口に向かいならが、ふと、思い出した。

 あの集会所の裏口に立っていた、母さんの後ろ姿を。

 別れの姿。

 あれが最後の姿なのだ。

 血溜まりに沈む姿ではない。

 冬の景色、絵のように切り取られた後ろ姿。

 あの母さんを覚えていよう。


「ビミン、何だか、この子達、また補足①えているわ。あらあら」


 アッシュガルトも猫が多かったが、城塞町も飼い猫はたくさんいる。

 住人が家を補足②れている間に、お腹が空いて集まったのかもしれない。


 台所に向かいながら、私は思った。


 荒涼とした冬の景色は、もう十分だ。

 暖かな陽射しの扉を開き、私もその景色の一部になりたい。


 私の光り、私の明日。

 わからないことばかりだけれど。

 私の望む明日がほしい。

 そう戦い勝ち取る事を考えていれば、無力感も無気力も、力を失う事はわかった。

 いつか、オリヴィアにも手紙を書きたいな。












 補足① テトのおまじないが、効いているようです。

 補足② 城塞町の全戸検疫をカーンの方で手配しました。






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