第155話 噂

 この泥状の生臭い塊は、家畜の乳が入っているからか?

 乾酪かんらく(注・乳製品であるチーズ)ならばもう少し塩気と旨味があるものだが。

 独特の臭みに凹む。

 そんな私に、エリが食卓の小さな容器を差し出した。

 容器を受け取らずにいると、彼女は中身を粥にかけた。

 茶色い粉だ。

 私の粥にたっぷりとかけ、木匙きさじでぐりぐりとかき混ぜる。

 そして豪快にすくいあげると、私の口元に差し出す。

 食えという身振り。

 仕方なく、匙に齧り付く。

 ...

 ヒドイ、マズイ。

 けど、食べ..れる?

 不味いのは揺るぎない事実として残ってしまっているが、塩辛い..。

 嫌だ、食べられるぞ。

 なんてことだ、後で吐かないか心配だ。

 食卓に着く他の客の様子から、これが朝の常食らしい。


「初めてかい、お嬢さん」


 呻いていると、隣に座る商人風の男が笑う。

 彼の前にはお茶と、大ぶりの器に粥がたっぷりと盛られていた。

 それに揚げた麺麭めんぽう(注・麦などを使用したパン)が添えられている。


「これは羊の乾酪と雑穀の粥だ。

 とても体に良い飯だから、少し臭くても全部食べたほうがいい」

「食べにくいです」

「これも慣れると、地域ごとの味の違いがわかって面白いんだよ」

「美味しいじゃないんですね」

「まぁそこはね。これは腹の負担を減らす為の食事なんだよ」

「負担を減らす?ですか。朝ごはんに粥は、この辺りでは普通なんですか」

「お嬢さんは、北の子だね。

 北は、どちらかというと水団すいとん(注・小麦粉の団子)かな、肉が入った汁物に水団がよく朝に出されるね。

 北が凍る前は、狩猟民族の多い土地柄だ。

 穀物より肉だから、朝から濃い味の腹に溜まる料理がでる。

 ここは中原の食の文化圏なんだよ。」

「おやっさんの蘊蓄うんちくはなげぇんだよ」


 同じ旅路の者なのか、途中でちゃちゃが入る。


「食うこと以上に楽しいことがあるのかい?」

「そりゃ、おやっさんの腹回りを見たら、わかるけどよ」

「ほっとけ、でだ。

 中原は騎馬民族、馬で移動する民が暮らす場所だったからね。朝は粥なんだ。」


 話によれば、中原の旅といえば馬である。

 馬車に揺られるにしても、大方の旅慣れない者や女子供は、足腰に来る前に腹がやられる。

 そこで中原の宿の朝飯は、粥と相場が決まっていた。

 騎馬民族の伝統的な食事で、体を温め腹に負担がない。

 食事を抜けば暖かな場所ではないので体が弱る。

 それで粥となった。

 腹持ちをと考えるのは、かちの者だけらしい。


「その子が粥にかけてくれたのは、この辺りで採れる岩塩と香草の調味料だ。これも土地々々で色々な配合の物が売られている。肉を焼くにも汁物にするにも結構便利な塩類だ。旅をするなら少量づつ買ってもいいもんだよ」

「つまり、それをかければ大抵のクソまずい飯がくえるって事だよ、嬢ちゃん。

 俺の場合は、粥が一番安いから食ってるだけよ。

 次の宿場じゃぁ麺がうまいから、そっちを食う予定だ」


 他の客も、安いから食っているに賛成のようだ。

 皆で盛大に塩を振ると、笑って粥を流し込んだ。

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