第867話 モルソバーンにて 其の五 ③
糸は途切れること無く続く。
加熱し半ば溶けかかる資材の間を、私達は進む。
熱と炎で闇が退けられたが、空気が薄く暑い。
幸いにも異形の姿は無い。
炎を恐れたのか、それとも集まっていた大方を焼き尽くしたのだろうか。
幾つもの資材の山を抜けると、焼けた工房の建物とは別の、古い建物に辿り着いた。
炎もここまでは到達しておらず、薄暗い。
眼の前の建物を見回せば、塔のようである。
入口には扉がなく、坑道のように建物に穴が開いている。
見たところ、元々は工房だった場所が、古くなって放棄されたようだ。
雑然とした様子から、物置にしているのか。
乱雑に様々な品が置かれていた。
建物の1階部分の窓からは、そうした用途のわからない物が散乱し、埃をかぶっているのが見える。
近寄って見れば、建物の入口には扉がない。
音をたてて降る雨の下から、軒に入る。
入口から覗き見た先は、闇だ。
居座っている闇が濃く、夜目が利く私でも見通せない。
床を見れば、埃が白く積もっている。
無数の足跡は、虫の物だけだ。
糸は、その入口から奥へと漂っている。
イグナシオが先に入っていく。
どんよりとした空気。
湿気と冷気。
そこに微かな臭い。
「何のにおいだ?」
腐臭とは少し違う。
獣臭さだ。
獣の巣のにおいか?
慎重に糸をたどり、奥へと進む。
物音はしない。
家鳴りもせず、雨音も遠い。
ただ、闇が濃くなっていくのを感じた。
闇が深く、蜷局をまいている。
光りがささぬ屋内だからではない。
目を閉ざす何かが降り積もっている。
夜目が利くはずの私達だが、身の回りだけがぼんやりとわかる程度だ。
灯りをつけても、この何かが晴れるとは思えない。
感覚は泥だ。
確かな質量のある闇をかき分けている。
水や泥のように息が詰まる事は無いが、おかしな事になっていた。
それでも誰も口にはださなかった。
何かに見られているからだ。
得体の知れない何かに見られていることがわかった。
耳元で息遣いがする。
触れる近さで、何かの気配がする。
イグナシオは無意識に耳を立て、カーンは喉の奥を鳴らし、ザムは時々背後を振り見た。
未だ全てが見えないというのなら、モルソバーンの異形は、グリモアを上回るという事か?
(過小評価は頂けないね。
この世の不思議はひとつではない。
人が変わるなら世も変わり、そして魔も自由になるんだよ。
見えぬ守りとは、人と魔を分ける境界だった。
それは神の影響も、この世の不思議をも眠らせていた。
けれどそれでは守れなくなった。
異物である魔導が染みてきちゃったからね。
そこで君は人に力を与えた。
新たな守りだね。
それは眠っていた、人外の縛りを解くことでもあるんだよ。
だから、目隠しをとっても全てが見えないのは、あたりまえだ。
この領域に残られた主が目隠しをしたのは、狂った神々の怒りやこの世の不思議から卑小な生き物を守るためでもあったのだからね。
言っただろう?
理とは必要だからだ。
この世界を壊さぬためにある約束だ。
軛が外れたのは、何も人だけではない。当然だ。
よくも悪くも、君が考えるような、悪は一つではないし、善も一つの答えを用意してはいないのだ。
簡単に言えばね、オリヴィア。
元々、厳しい世界なんだよ。
君が人間に力を与えれば、その分、この世界の魔物も狂った神々も力を取り戻すってことさ。)
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